旧昭和会館(昭和8年築)。
日本各地の近代建築探訪など
お盆休みに、小樽、函館を歩いています。今年は、悲しい情報ばかりです。
まず、小樽では、高島の旧吉田医院が6ヶ月ほど前に解体。すでに更地となっていました。大好きな銭湯だった鹿の湯も、昨年11月に解体とのこと。更地になった敷地の前に立ち、呆然としてしまいました。
旧吉田医院
鹿の湯
函館では、元町の旧今井百貨店が、解体の真っ最中。北海製罐の工場も跡形もナシ。角地に塔屋の付いた旧函館水上警察署(函館市大町13)の建物も解体中。いったいどうなっているのだろう。
旧今井百貨店
北海製罐
旧函館水上警察署
福井鉄道株式会社。武生の市街地の北東角にデンと構えています。
越前市役所の裏手でみつけた、事務所。相当規模の大きな建物です。
前村姓関わりで、「前村洞和」という絵師の存在を知ったのは、河鍋暁斎の自伝の記述からでした。土佐藩お抱え絵師で、江戸の本郷に居を構えており、河鍋暁斎の師であったと(河鍋暁斎も本郷在)。
知り得たのはこれだけの情報だったのですが、それからというもの「前村洞和」はどんな絵を描いていたのかをぜひ見たいものだと思っておりました。
ちなみに、河鍋暁斎と言えば、日本近代建築の父であるジョサイア・コンドルの日本画の師匠として有名ですよね(先日、ようやくジョサイア・コンドル著『河鍋暁斎』を読み終えたところです)。前村洞和から見れば、コンドルは孫弟子ということになりますか。コンドルの号は「暁英」。
さて、「前村洞和」で検索していたところ、遠藤英彰さんの「人生の謎学」ブログに、思わぬ記述を見つけました。
http://synch.at.webry.info/200605/article_5.html
「土佐の絵金」こと金蔵も、前村洞和の弟子であったと(洞意の号が与えられたとのこと)。河鍋暁斎の兄弟子にあたります。土佐関わりであり、絵のタッチなども似ているとは思っておりましたが、絵金と河鍋暁斎は、前村洞和によって繋がるとは。
高知県香南市赤岡町では、毎年夏「絵金祭り」が開催されており、ぜひ一度見に行きたいと思っておりました。何だか絵金も、少し身近に感じられるようになりました。
http://www.kochi-shokokai.jp/akaoka/ekinmaturi.html
旧武生市公会堂(昭和4年築)。こんなアール・ヌーボーのデザインの建物が武生にあるとは、驚きです。
旧中村商店(明治45年築)。再開発で空地となった駅前の区画のとなりにあり、とても目立ちます。
旧武生郵便局(大正3年築)。現在、設計事務所として活用されています。
旧大井デパート(昭和5年築)。街中に、こんな建物が建っています。
旧味湾海倶楽部(昭和5年築)。手前に、町家の建物が接続しています。現在、ドレスメーカー学院として使われていますが、どんな建物かわかりませんね。『近代建築ガイドブック』の写真でも、かろうじて飾りの付いた建物の外観が見えますが、現在は外壁をすっかり覆ってしまっています。屋上には、八角形の展望台があるとか。
井上歯科医院(明治41年築)。こちらも、庭木が大きくなって、建物が見えません。
旧福井警察署(明治32年頃築)。大きな寺院の敷地内に移築され、丈生幼稚園の園舎として使われています。木々が繁り、建物の全貌が写りません。