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旧長崎刑務所の活用方法を考える

ファイル 1508-1.jpg

すでに解体も始まった旧長崎刑務所ではありますが、仮に保存が実現したとして、どのような活用方法があるかを、思いつくまま、独断で勝手に書いてみました。採算や費用度外視で、とにかくプランの種類や数を多く出すことが目的です。実現性のないムダなことだなどと考えずに、皆さんの考えもお寄せください。

●ホテルなどの宿泊施設。房舎も、当然改修して宿泊施設として利用する。倉敷アイビースクエアのイメージ。
・倉敷アイビースクエア
http://www.ivysquare.co.jp/

●刑務所博物館。旧長崎監獄を体感する体験型施設。修学旅行生や、団体観光バスによる集客を期待。博物館網走監獄のイメージ。
・博物館網走監獄
http://www.kangoku.jp/

●レストランなどの飲食店。庁舎だけ保存の場合にも有効。事例は多いが、例えば東京の小笠原伯爵邸などのイメージ。
・小笠原伯爵邸
http://www.ogasawaratei.com/html/index.html

●地域の集会所・公民館など公共施設。庁舎だけ保存の場合、公民館を新築する予算を改修・改装費用に充てれば、充分実現可能と思われる。一部は展示コーナーとして、旧長崎刑務所についての展示解説を行なう。

●たてもの園。庁舎を管理棟とし、長崎歴史文化博物館の分館として、長崎県内で解体せざるを得なくなった歴史的な建物を移築保存し野外展示を行なう施設とする。犬山の博物館明治村や、東京の江戸東京たてもの園のイメージ。
・博物館明治村
http://www.meijimura.com/index.html
・江戸東京たてもの園
http://tatemonoen.jp/

●結婚式場。歴史的な建物を結婚式場にする例は多いが、さすがにこれはムリだと思う(笑)。

●温泉施設。庁舎を利用し、スーパー銭湯的な入浴施設にする。イメージが貧弱(泣)。

●ショッピングセンターの管理棟。敷地をショッピングセンターとする場合、庁舎を管理棟として保存・活用する。

●シナリオ図書館。庁舎を利用し、諫早出身の市川森一氏の作品をはじめとする、テレビドラマや映画などのシナリオ(台本)全て収集する図書館とする。

●九州赤煉瓦博物館。九州地区の赤煉瓦建造物の資料展示を行なう。舞鶴の赤れんが博物館のイメージ。
・舞鶴市立赤れんが博物館
http://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/akarenga/index.htm

福井県勝山(04)

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町の中央部にある紡績工場の建物。周囲に建ち並んでいた別棟の建物が、今まさに解体中でした。この建物は保存されるのでしょうか。

旧長崎刑務所保存をめぐる3つの主張に答える

ファイル 1503-1.jpg

8月31日、諫早で開催された「旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム」ですが、当夜、出席された長崎総合科学大学の山田由香里さんからお電話をいただき、会議の様子などをうかがいました。また、「旧長崎刑務所の保存と活用を考える会」の栄田元信さんから、メールで状況のご報告をいただきました。長崎県建築士会長崎支部青年部のブログや、長崎新聞、西日本新聞などでも報道されております。

「市民フォーラム」((社)長崎県建築士会 長崎支部青年部のブログ、9月1日付)
http://blog.goo.ne.jp/nagasaki-seinenbu/e/1d23657a658badda0f9bbbfc5be4b48c

「高評価、一方で否定的声も 旧長崎刑務所でフォーラム」(長崎新聞、9月2日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070902/04.shtml

「「署名行動で勢いを」「解体の現実を直視」 旧長崎刑務所の保存策探る 諫早でフォーラム」(西日本新聞、9月2日付)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/20070902/20070902_002.shtml

お話をうかがった内容や報道などを見ると、市民の間でかなり意見が割れてしまっているようです。これまでにも、近隣住民の意見は報道されていましたが、旧長崎刑務所を保存するということについての反発は報道以上のものがあるようです。近隣の地主など、直接、利害や利権の絡む問題ですので、これは止むを得ないことでしょう。

また、当ブログへのコメントとして、市民の方々からいくつか書き込みがありました。武田洋子さん、ムーミンさん、山口さん、コメントありがとうございます。それらの意見をまとめると、主張は次の3点になるかと思われます。

まず、財源の問題です。ここでも、保存するには10億円もかかるというステレオタイプの金額が提示されています。今のご時世、お金が無いのは当然ですので、お金が無いならば無いなりの保存の方法があります。また、その負担を市民に負わされるのではたまらないという意見はもっともなことで、旧長崎刑務所のような貴重な文化財級の物件の保存は、国民の財産として国全体で負担すべきでしょう。これは私見ですが、文化財の保存は、将来の子孫に残すということですから、未来への負債でも良いのではないかと考えています。後世、よくぞ残してくれたと喜ばれるか、なぜ解体してしまったと恨まれるか、ということです。

次に、なぜ今ごろ保存を言い出すのかという時期の問題です。これは、現在保存を主張している人々が、反省しなければなりません。小生も、なぜもっと早く保存を訴えなかったのかと思っています。小生の場合、2005年に出た書籍『九州遺産』に掲載されていた写真でこの旧長崎刑務所を知り、2006年の春に初めて現地で旧長崎刑務所を見、なんとか保存できないものかという思いをつのらせておりました。所有者が国であり、何らかの保存措置はするだろうという淡い期待もしておりました。今年の春、報道で民間業者への売却を知るに及び、このままでは解体されてしまうとの危機感から、ようやく行動を開始したのでした。正直なところ、旧長崎刑務所のことを知るのが遅すぎたというのは事実です。もっと早くに、この旧長崎刑務所のことを知っていればと思います。ただ、解体に着手したいまさらでは遅すぎるということは決して無く、どんな時点であれ保存が主張されたということは、まだ可能性を残しているということです。小生のように、多くの人々が旧長崎刑務所のことをまだ知りません。それらの人々に、この旧長崎刑務所の存在を知ってもらい、残すか解体するかの価値判断をしてもらわなければならないと考えています。ごく一部の役人の判断だけで、国民の貴重な財産を喪失してしまっては、後世に取り返しのつかないことになってしまいます。たとえ、多くの市民が解体を望もうとも、保存すべき価値のあるものは、利害関係抜きに判断し、保存措置が図られなければならないと考えます。

最後に、保存を主張するのは市外の人々だけで市民は解体を望んでいるという、これまでも多くの保存運動で見られた地元が解体を望むという構図の問題です。文化財級の貴重な財産である旧長崎刑務所は、近隣住民や行政地域内の市民のものではなく、広く国民のものであるということを理解すれば、この主張はあきらかに誤りであると納得してもらえると思います。さらに、先にも述べたように、貴重な財産である旧長崎刑務所は、現在生きている者だけの財産ではなく、将来の子孫の財産でもあるということを考慮しなければなりません。小生は、これまでにもこの構図を、空間軸と時間軸の問題として、もっと視野を広げて考える必要性を主張してきました。解体してしまうということは、両軸を断ち切ってしまうということなのです。

以上、市民フォーラムを受けての、小生の感想と回答でした。

なお、この市民フォーラム前後にも、旧長崎刑務所のことが盛んに報道されています。多くの人々に、旧長崎刑務所のことを知ってもらうことが、今いちばん大切なことなのだと思います。

「貴重な西欧風れんが造りを発見 旧長崎刑務所解体現場」(長崎新聞、9月1日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070901/01.shtml

「山下啓次郎と旧長崎刑務所展 市立諫早図書館で始まる」(長崎新聞、8月28日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji2/2007082802.shtml

「旧長崎刑務所正門など保存訴え 諫早市に「考える会」要望書…旧長崎刑務所」(読売新聞、9月4日付)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news004.htm

近く、社団法人日本建築学会九州支部より、保存要望書の提出が決まったとのことです。旧長崎刑務所が、学術的にも貴重な物件であるということが、裏付けされました。

九州遺産―近現代遺産編101
九州遺産―近現代遺産編101

福井県勝山(03)

ファイル 1506-1.jpg

竹下医院。すっかり塗装のはげてしまった下見板貼りの洋館。

福井県勝山(02)

ファイル 1505-1.jpg

小林眼科医院。ピンク色の塗装がカワイイ、下見板貼りの洋館。

福井県勝山(01)

ファイル 1504-1.jpg

金花堂八百支店。左右対称の綺麗に整ったアールデコ調の建物。

広島県府中(08)

ファイル 1490-1.jpg
通り側にベランダをまわしたこの建物は、いったい何の建物だったのでしょう。
ファイル 1490-2.jpg
同じ通りには、やはりベランダを付けた商家の建物もありました。

広島県府中(07)

ファイル 1489-1.jpgファイル 1489-2.jpg

平和堂看板店。ライオンの飾り、入口上の円弧を描く窓、右隅に小さくある円窓など、賑やかで楽しい建物です。

広島県府中(06)

ファイル 1488-1.jpg

銅板葺の看板建築。3階建てに見えますが、どうやら3階部分はフェイクのようです。

旧長崎刑務所を残すカギは「用途変更」

ファイル 1499-1.jpg

西日本新聞8月26日の用語解説「ワードBOX」に、旧長崎刑務所が取り上げられています。

「視点’07ながさき=旧長崎刑務所、年内解体へ 見えぬ跡地の将来像 諫早市 「保存」「開発」ともに課題」
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5104/

これを読むと、旧長崎刑務所は近隣住民のとっては「迷惑施設」でしかないようです。シロアリ被害、ぼや騒ぎ、痴漢出没などなど。しかし、これらの問題は、記事にもある通り、旧長崎刑務所そのものに起因する問題ではなく、旧長崎刑務所を15年間も放置し続けてきたことによる管理上の問題です。

地元が保存に反対するという構図は、全国各地で見られます。以前書きましたが、小樽運河保存の際も、地元は運河埋立賛成でした。妥協・折衷案でしたが、何はともあれ小樽運河が残され、今日の観光化した小樽があります。運河を残すことで、その後どのような展開があるかの想像図を描ききれずに、地元は反対したということなのでしょう。

旧長崎刑務所も、残すことで将来どのような展開がありうるかを、具体的に示す必要がありそうです。昨今、旧長崎刑務所のような歴史的価値のある物件は、観光資源としても有望なのです。

西日本新聞の記事によれば、旧長崎刑務所の今後のカギは「用途変更」のようです。確かに、刑務所の用途地域って、何だったのでしょう。刑務所機能移転後の用途地域の指定も、何だったのか興味があります。県や市は、この「用途変更」の権限で、旧長崎刑務所の保存を取引することができそうですネ。

今後の展開が何も決まっていないにもかかわらず、ただ解体だけが押し進められている現状は、本当に許しがたいです。壊してしまっては、取り返しがつかないのですから。

8月31日の市民フォーラムを期待しています。皆で知恵を出し合って、残した後の旧長崎刑務所の活気ある姿を思い描きましょう。

丘の上の白いパゴダ

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以前から気になっていたのですが、全国を旅していると、丘の上に白いパゴダが建っているのをよく見かけます。どうも、鉄道の大きな駅などから見える位置に建っていることが多いようです。例えば、札幌や釧路、熊本など。

パゴダは仏舎利塔であり、インドのストゥーパが原形です。日本には木造の五重塔や三重塔、多宝塔などの形で伝わりました。パゴダは、ミャンマーやタイなどに伝わった形です。

つまり、現在各地に見られる日本のパゴダは、それほど古いものではないということです。小生の仮説では、伊東忠太設計による大正7年築の名古屋市の日泰寺仏舎利奉安塔が最初ではないかと考えました。その後、昭和初期にいくつか建てられ、昭和30~40年代に各地に建てられたのではないかと考えました。

今回、日本のパゴダのリストを作ろうと思って検索していましたら、すでに「塔婆-現存塔婆と塔婆遺跡」というHPに、「南方式仏塔(パゴダ)」の詳細なリストが載っておりました。

このリストによると、明治44年築の静岡県袋井市の可睡斎護国塔が最初のようで、設計は伊東忠太です。リストでは、大正7年築の日泰寺仏舎利奉安塔は、覚王山仏舎利塔として掲載されています。

伊東忠太が日本に持ち込んだという小生の仮説は、一応正しかったようです。「日本のパゴダの歴史」なんて、どこかの大学で研究しているのでしょうか。建築学というより、仏教系の研究ですかね。

広島県府中(04)

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旧紡績工場事務所。1階と2階の間に、大の字をあしらった通気孔が並んでいます。