旧熊本市八景水谷水源地第二井送水ポンプ室(大正13年築)。水道施設は、どこも市街地から少し離れた場所に立地しています。
日本各地の近代建築探訪など
旧熊本市八景水谷水源地第二井送水ポンプ室(大正13年築)。水道施設は、どこも市街地から少し離れた場所に立地しています。
廿世紀浴場
美章園温泉
ここ数年、どの町にもあった建物がどんどん消えていく状況が進んでいます。とくに、個人経営の業種で、比較的大きな面積の建物である、町の映画館や銭湯……。かつては、町の人々にとって必要な施設であり、手軽な価格で数多くの人々が利用する建物でした。
思えばバブルの頃、地上攻勢を受け、一定の敷地面積のあるこれらの建物の多くが解体され、マンションや商業ビルになりました。そんな中でも所有者の踏ん張りで残った建物が、ここにきてバタバタと閉店し、解体され続けているのです。
銭湯の場合、経営的に苦しいことは十分想像できます。内風呂が普及し、利用者が激減した現在、多少の利用者増があったとしても、構造的に、もはや成り立たない商売なのではないかと思えてなりません。一体全体、何人くらいの来客があれば銭湯の経営は成り立つものなのでしょう。さらに、最近は原油高騰で、営業を続けても赤字がかさむだけという話も聞こえてきます。
昔ながらの銭湯は個人経営(家族経営)のために、廃業即解体となる例が多く、気がつけばすでに更地になっていたというような現場によく出くわします。
昨年末に東京の廿世紀浴場が廃業し、すぐに解体されました。また、昨年の秋頃から休業中だった大阪の美章園温泉も、とうとう今月廃業となり、解体中とのこと。どちらも、商店街からのアプローチが似た位置にありました。
廃業するのはやむを得ない状況であるということは、誰もが理解できます。しかし、解体するには惜しい建物も多いのです。国の登録文化財としてリストアップされているような建物もあります。建物自体の価値を評価し、たとえ営業は終了しても建物は残すというような方策はないものなのでしょうか。銭湯としての利用は難しいとしても、他の用途でその空間を活用することは十分可能なはずです。また、そうした事例も、実際に各地で実現しはじめています。
最悪、土地の有効活用等というお題目で、その場所に建ぺい率制限目一杯までの建物を建てる際にも、地面に面した階は旧銭湯の外観を再現するべきだと考えます。そして、その空間は、地域の公共的スペースとして活用されるべきでしょう。
多くの人々に愛され利用された建物は、その建物に接した人の数だけ、多くの人々の記憶の中に存在し続けます。経済原理だけでない、思い出の建物が「存在し続けること」の価値と意義とを、ぜひ考えて欲しいと思います。
「まちかどの近代建築写真展IN大阪III」開催に向けて。第14弾は、北海道士別の煉瓦建築です。駅前に農業倉庫が並んでいます。
旧山陰電気米子変電所(大正7年築)。唐突に、この煉瓦の建物が建っています。
「まちかどの近代建築写真展IN大阪III」開催に向けて。第13弾は、北海道岩見沢の煉瓦建築です。
旧歩兵第二十一連隊雨覆練兵場(明治31年築)。浜田市立第一中学校屋内運動場として活用されています。登録文化財。
旧歩兵第二十一連隊雨覆練兵場(大正5年築)。こちらは、島根県立浜田高等学校第二体育館として使われています。登録文化財。
「まちかどの近代建築写真展IN大阪III」開催に向けて。第12弾も、北海道札幌の煉瓦建築です。
安藤商店煉瓦造蔵座敷(明治24年築)。武家屋敷の続く町並みに、赤い煉瓦蔵が映えます。
「まちかどの近代建築写真展IN大阪III」開催に向けて。第11弾も、引き続き北海道札幌の煉瓦建築です。
日本キリスト教団福島教会(明治42年築)。ヴォーリズの設計です。
「まちかどの近代建築写真展IN大阪III」開催に向けて。第10弾は、北海道札幌の煉瓦建築です。札幌といえば、煉瓦建築のイメージがありますよね。
旧阿仁鉱山外国人官舎(明治13年築)。現在、阿仁異人館として公開されています。
「まちかどの近代建築写真展IN大阪III」開催に向けて。第9弾も、再び北海道旭川の煉瓦建築です。
旧小坂鉱山電錬場(明治42年築)。現在、小坂精錬所として現役稼働中です。