猿猴橋(大正15年築)。かつては、この橋が広島駅前の橋だったようです。
日本各地の近代建築探訪など
猿猴橋(大正15年築)。かつては、この橋が広島駅前の橋だったようです。
猿猴川沿いに建つ洋館。外壁の塗装が厚塗りですが、確かに戦前の建物だと思います。
旧住友銀行東松原支店(大正10年築)。煉瓦造の建物で、現在、谷口織物が使用しています。
宇品で見つけた洋館。アーチ窓や円窓の付いた素敵なお屋敷が残っていました。
勝利湯。腰回りにスクラッチタイルを貼った銭湯です。現役(のはず)ですが、行った日は煙突から煙も見えず、どうも休業のようでした。
宇品で見つけた洋館。旧医院ではないかと思われます。県立広島病院の南側には、洋館付住宅が多く残っています。
旧広島水上警察署(明治42年築)。その後、宇品警察署、広島港湾事務所として使われ、現在は空家です。爆心地から4.6kmの地点で、木造建築が現存していることに驚かされました。老朽化も激しく、何とか有効に活用して保存したい建物です。
電車通りに建つ看板建築。外壁がリフォームされていますが、コーナー上部の鏝細工の箇所のみ、表面を覆わず残しています。
旧中国配電南部変電所(昭和18年築)。戦時下に、このようなアールデコデザインの建物が建てられたことに驚かされます。現在、E.R.E宇品御幸ビルという名称になっていますが、空家のようです。
旧広島高等学校講堂(昭和2年築)。現在、広島大学附属中・高等学校講堂として使用されており、先年、登録文化財に登録されました。
旧広島陸軍被服支廠(大正2年築)。当時、広大な敷地に多くの倉庫が建てられていましたが、第10番庫~13番庫の4棟が現存しています(南北に一直線に3棟、南端東西に1棟)。RC造煉瓦貼りで、長さ94m、高さ17mの建物3棟が一直線に並ぶ様は壮観です。戦後は、南北の3棟が広島県、南端東西の1棟は国の機関などに使用され、現在はいずれも空家となっています。
皆実町中通り商店街の中ほどにある洋館。大きな円窓を見ると、ただの住宅とは思えません。この建物のある通りは、旧被服厰の正門から真っ直ぐに続く「被服通り」と呼ばれた通りです。
旧常磐グリース製造所倉庫(大正2年頃築)。南区大洲の猿猴川のほとりに残る被爆建物で、現在、三戸商店倉庫となっています。被爆当時は、日本特殊グリース倉庫でした。
被爆建物である旧第一高等小学校(現比治山中学校)近くの洋館(旧医院か?)。昭和初期の被爆建物ではないかと思われます。南区の猿猴川と京橋川とにはさまれたこの地区は、比較的爆心地に近い(2~3km)にも関わらず、比治山の山陰になったことで多くの建物が残っていたのではないでしょうか。ただ、現在この周囲の地域は大規模な区画整理が進められており、更地が広がっています。