旧歯科医院か? 昭和61年に大洪水があり、復興計画により古い中心市街地は一掃されて、全く新しい町並みとなりました。そんな中で見つけた、ちょっとモダンな近代建築です。外観の全貌が見えませんが、玄関部分のアーチ、2階上部にめぐらせたタイルなどが見どころです。
日本各地の近代建築探訪など
旧歯科医院か? 昭和61年に大洪水があり、復興計画により古い中心市街地は一掃されて、全く新しい町並みとなりました。そんな中で見つけた、ちょっとモダンな近代建築です。外観の全貌が見えませんが、玄関部分のアーチ、2階上部にめぐらせたタイルなどが見どころです。
宗運株式会社。阿武隈急行(旧丸森線)の宮城側の始発である槻木駅で、列車の接続待ちの間に町に出て見つけた物件。旧槻木郵便局ではないかと思われます。
「中華まんじゅう」というと、どんなものを思い浮かべますでしょうか。おそらく、コンビニのレジ横にある、秋になると出てくる白い蒸しまんじゅうを思い浮かべるのが普通だと思います。
しかし、北海道で「中華まんじゅう」(あるいは略して「中華」)というと、違う食べ物を指します。
それは、お葬式の際の「葬式まんじゅう」なのです。ただ、普通の「葬式まんじゅう」とは違って、大きなどら焼きの皮のような生地一枚にこし餡をくるんだような形状のもので、大きなぎょうざのような、バナナのような形をしています。
なぜ北海道の「葬式まんじゅう」が「中華まんじゅう」になったのか、また、いつから「中華まんじゅう」が使われるようになったのかについては諸説あるようですが、詳しくは下記のHP「北のお菓子たち」を御参照ください。
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200405/special_07.html
「中華まんじゅう」は、普段、普通に食べられるものではないので、そのズッシリと重い触感とともに甘い記憶として甦ります。
最近では、お葬式で「中華まんじゅう」を配ることも少なくなったようです。ただ、時々、道内のスーパーやお土産屋で見かけることもあります。が、それは、記憶にあるような大きな「中華まんじゅう」ではなく、薄く小振りなものだったりします。本当の「中華まんじゅう」はもっと大きくて、こし餡のギッシリ入った、ふっくらとしたものでした。
さすがに、「葬式まんじゅう」ですので、デパートなどでの「北海道展」では見かけません。もし見かけたら、すぐに買ってしまうのですが……。
サンコーホーム。この建物は、明らかに旧金融機関かと思われます。昭和30年代位の建物でしょうか。
お菓子のささもり。当初、新しい建物ではないかと考え撮影しなかったのですが、思い直して戻って撮影した建物です。
長屋事務所。角田町の総覧物件は、全てがすでに解体済でした。やっとこの建物を見つけたときは、角田の町を探し歩いた苦労が報われた思いでした。
旧丸森郵便局(昭和10年築)。丸森町の中心部にある近代建築です。
越後タクシー丸森営業所。建物が看板と一体となった、まさに看板建築です。
事務所。消防車車庫の隣の建物で、昭和30年代の役所や公民館などの公共建築かと思われます。
消防自動車車庫。桜のマークの付いた、木造モルタル塗のポンプ小屋です。
丸森橋(昭和4年築)。阿武隈急行丸森駅から丸森の町へ向かう途中に架かるトラス橋です。
旧明倫小学校(昭和30年築)。市側より、来年平成21年度中に解体の方針が示されています。
江別第三小学校(昭和32年築)。鉄骨煉瓦造の現役円形校舎です。
萩光塩学院(昭和30年築)。現役の円形校舎で、円形校舎としてはかなり早い時期の建物です。