堀会計事務所(昭和初期築)。大谷石による彫りの薄いライト式の門柱の奥に、洋館付住宅が見えます。
日本各地の近代建築探訪など
堀会計事務所(昭和初期築)。大谷石による彫りの薄いライト式の門柱の奥に、洋館付住宅が見えます。
日吉町の旧商店。道が小さくカーブしていて、どちらからでも側面が見える位置に建っています。
須田医院。サッシや屋根の改修前はどんな姿だったのでしょうか。
江野邸煉瓦小屋。ご当主のお話によると、女中部屋と使用人炊事場として使われていたとのこと。
旧郵便局。正しい名称が不明ですが、1階は郵便局、2階は電話交換所だったとのこと。現在、島田医院として現役です。
旧八十五銀行松山出張所倉庫。保岡勝也設計で、昭和初期築のRC造3階建。内部は太い4本の円柱が梁を支えています。担保にとった繭を保管するための倉庫とのこと。この倉庫の前には、事務所棟も建っていたのでしょう。どんな建物だったのか。
外観のペイントは、ぜひ消して欲しいものです。
竹ノ谷歯科医院。複雑に増築されていますが、玄関部分を見ると下見板張りの建物であることが判ります。
小池茂八商店倉庫。バス通りを隔てた向かい側にも、大谷石造の倉庫があります。
竹筋コンクリートについては、これまでこのブログで情報を募ってきましたが、これはという物件には出会えずにおりました。
この度、沖縄県の竹富島へ行く機会があり、そこで竹筋コンクリートの情報を得ました。1953年築の「なごみの塔」と呼ばれている国登録有形文化財で、もともとは放送台として住民総出で築いたということです。伝建地区の中心にあり、現在は展望台として観光スポットとなっています。
歴史民俗資料館で竹筋コンクリート造(一部鉄筋)であると聞き、戦後にも竹筋コンクリート造の物件があるのだと驚きました。
小生もこの「なごみの塔」に登ってみましたが、踏面が10センチくらいしかなく、蹴上げも35センチ、斜度60度という階段で、とにかく怖ろしい展望台です。手すりが非常に肉厚であるのが、竹筋コンクリート造ゆえなのでしょう。
「なごみの塔」からの展望
小池茂八商店倉庫。大谷石造の大きな倉庫で、元は米倉ではないかと思われます。
旧制松山中学校校舎(大正12年築)。松山高校記念館として、校舎の中央部分を保存しています。
野首教会堂。明治41年(1908年)築。鉄川与助が設計・施工した最初の煉瓦造の教会堂。県指定有形文化財。住民の離島により無人島となった野崎島の、集落を見下ろす小高い丘に建っています。
黒島教会堂。明治35年(1902年)築。マルマン神父設計、前山佐吉ほかの施工による煉瓦造の教会堂。国指定重要文化財。連絡船で50分かけて黒島へ渡り、アップダウンのある野道を歩くこと30分。だんだん見えて来る天主堂の美しいこと。教会の後ろに周ると、どこかの写真集で見た円い煉瓦積みがありました。