三朝へ行ってきました。
観光協会の方に、いろいろと聞き取りをしました。観光協会の方は、この三朝橋をいかに観光に活かしていくかということで、逆に疑問を投げかけてきました。まず、三朝橋の幅員の広さです。自動車が楽々とすれ違うことができます。バスと自動車のすれ違いも可能なほどの橋幅です。昭和9年当時、三朝に、この橋幅が必要だったとは思えないと言うのです。
橋幅だけでなく、欄干や灯籠も、肥大化しています。灯籠は、2メートル以上の高さがあります。このスケール感は、何なのでしょう。
三朝橋を行く歩行者を想定しているとは思えません。おそらく、川幅に対するバランスから橋幅が決まり、欄干や灯籠の高さも、橋の長さに対するバランスからなのではないか、と思われます。
つまり、机上でのデザインが優先しているのではないか、ということです。もっと空想すれば、例えば京都のどこか大きな橋のプランを、三朝橋に流用したのではないかという可能性も、あり得るのではないでしょうか。
この三朝橋は、どこから見る(見られる)ことを想定しているのかという疑問も、投げかけられました。川上か、川下の、別の橋から眺めるのが一番美しいと思うのですが、当時はそういった橋がありません。川岸の旅館から眺める橋だったのでしょうか。少なくとも、真正面にある万翠楼からは、あまり美しくは見えないでしょう。逆に、橋をアプローチとした万翠楼の組み合わせは、絵になります。
謎の多い、三朝橋です。