被爆建物である旧第一高等小学校(現比治山中学校)近くの洋館(旧医院か?)。昭和初期の被爆建物ではないかと思われます。南区の猿猴川と京橋川とにはさまれたこの地区は、比較的爆心地に近い(2~3km)にも関わらず、比治山の山陰になったことで多くの建物が残っていたのではないでしょうか。ただ、現在この周囲の地域は大規模な区画整理が進められており、更地が広がっています。
日本各地の近代建築探訪など
被爆建物である旧第一高等小学校(現比治山中学校)近くの洋館(旧医院か?)。昭和初期の被爆建物ではないかと思われます。南区の猿猴川と京橋川とにはさまれたこの地区は、比較的爆心地に近い(2~3km)にも関わらず、比治山の山陰になったことで多くの建物が残っていたのではないでしょうか。ただ、現在この周囲の地域は大規模な区画整理が進められており、更地が広がっています。
花崎敦子さん、情報ありがとうございます。
中国新聞のHPで、該当の記事を見ました。まさに、この建物ですね。
中国新聞「被爆免れた街並みが姿消す」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200808080028.html
先週、広島を歩いて、広島市の「被爆建物リスト」以外にも、住宅や商店、医院などが、結構残っていると気付きました。
曳家でも移築でも、とにかく保存すべき建物だと思います。被爆建物としてだけでなく、建物そのものに価値があり、貴重だと思います。日本建築学会など諸団体に、保存を提言したいと思います。
明日、再び広島へ行くことにしました。もう一度、段原地区も歩いてこようと思います。
写真では、あまり改築されていないように見えます。室内も当時のままだと良いと思いますが、これが全て瓦礫になって捨てられると思うと、勿体ないです。
明日、広島に来られるのですね。街角に溶け込んで建っている古い建物の保存は、時間とお金と価値を理解出来ない人との戦いですね。
気を付けておいでください。
花崎敦子 2008年08月08日(金)11時52分 編集・削除
こんにちは。レトロな建物が好きで、HPを拝見しております。
本日(8月8日)の中国新聞に、この建物が段原開発事業のため、今月末までに解体が始まるとの記事がありました。医師・藤原徹氏の生家で、終戦(1945年)の数年前に建てられたそうです。また昭和の貴重な建物が無くなるのは、寂しい限りです。