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登録有形文化財の都道府県別件数

先日ご報告した告示に続き、12月27日にも再び告示がありました(文部科学省告示第184号)。

この告示を受けて、現在までの登録有形文化財の件数を、各都道府県別に集計したのが下記の表です(『総覧登録有形文化財建造物5000』より抽出)。

都道府県件数
北海道64
青森50
岩手57
宮城52
秋田124
山形83
福島78
茨木201
栃木131
群馬147
埼玉91
千葉63
東京193
神奈川110
新潟195
富山72
石川144
福井43
山梨52
長野254
岐阜65
静岡105
愛知212
三重52
滋賀231
京都204
大阪326
兵庫213
奈良94
和歌山81
鳥取82
島根44
岡山100
広島64
山口46
徳島59
香川283
愛媛69
高知208
福岡40
佐賀50
長崎49
熊本76
大分114
宮崎29
鹿児島20
沖縄10
5130

ご覧の通り、登録有形文化財の件数は、都道府県によりバラツキがあります。全部で5130件ですから、平均で100件はあるべきですが、あまり熱心ではないところも多いようです。

登録有形文化財の告示

昨日、約半年ぶりに「登録有形文化財」の告示が出ました(文部科学省告示第165号)。先にご紹介した、静岡県小山町の豊門会館等も、今回の告示で登録されています。

これで、登録有形文化財は5,000物件を超えることになります。今年10月6日、それを記念して、文化庁のイベントも行なわれました。ちなみに、10月6日は「登録有形文化財の日」なのだとか。

登録有形文化財制度ができて9年で、5,000物件。これは、決して多い数字とは言えないでしょう。もっと登録のペースをあげなければなりません。

上記で、「約半年ぶり」と書きましたが、正しくは4カ月ぶりでした。ずっと登録有形文化財の告示が無かったような気がしておりました。今回の告示を、心待ちにしていたからなのでしょう(笑)。

「近代建築の好奇心 武田五一の軌跡」開幕

10月22日、いよいよ文京ぶるさと歴史館で、特別展「近代建築の好奇心 武田五一の軌跡」が開幕しました。
武田展ポスター

オープニングに参加してきましたが、武田五一のお孫さんや、親戚の方、旧福山藩の殿様の末裔の方など、沢山のお客様がお見えになり、興味深いお話をうかがうことができました。

展示室は狭いのですが、ぎっしり詰め込んで盛り沢山です。

会期は12月4日まで。ぜひ、お運びください。

文京ふるさと歴史館

山代共同湯

IMGP0005.jpg
この写真は、昭和4年の山代共同湯の建築当時の写真です。建物のデザインは、近隣にある大型の旅館や民家とソックリです。武田五一は、山代温泉周辺で取材をし、デザインを決めたのではないでしょうか。

IMGP0010.jpg
こちらは、その内部です。当然ながら、カランは無く、湯船から湯を汲んで身体を洗います。

yamasiro1.jpg
こちらは、観光協会さんにご提供いただいた山代共同湯の写真です。この写真を見ると、後方にある洋館部分が浴場だったものと思われます。

yamasiro2.jpg
浴室内部です。上の浴場内部の写真に見える市松模様の部分は、入口付近であることが分かります。また、湯船は深かったとの聞き取り通り、タイル貼りで深そうです。

三朝橋の疑問点

IMGP0263.jpg

三朝へ行ってきました。

観光協会の方に、いろいろと聞き取りをしました。観光協会の方は、この三朝橋をいかに観光に活かしていくかということで、逆に疑問を投げかけてきました。まず、三朝橋の幅員の広さです。自動車が楽々とすれ違うことができます。バスと自動車のすれ違いも可能なほどの橋幅です。昭和9年当時、三朝に、この橋幅が必要だったとは思えないと言うのです。

橋幅だけでなく、欄干や灯籠も、肥大化しています。灯籠は、2メートル以上の高さがあります。このスケール感は、何なのでしょう。

三朝橋を行く歩行者を想定しているとは思えません。おそらく、川幅に対するバランスから橋幅が決まり、欄干や灯籠の高さも、橋の長さに対するバランスからなのではないか、と思われます。

つまり、机上でのデザインが優先しているのではないか、ということです。もっと空想すれば、例えば京都のどこか大きな橋のプランを、三朝橋に流用したのではないかという可能性も、あり得るのではないでしょうか。

IMGP0268.jpg

この三朝橋は、どこから見る(見られる)ことを想定しているのかという疑問も、投げかけられました。川上か、川下の、別の橋から眺めるのが一番美しいと思うのですが、当時はそういった橋がありません。川岸の旅館から眺める橋だったのでしょうか。少なくとも、真正面にある万翠楼からは、あまり美しくは見えないでしょう。逆に、橋をアプローチとした万翠楼の組み合わせは、絵になります。

謎の多い、三朝橋です。

求道会館のプランと奉安殿

今日も、小生の突飛な仮説です。何の根拠もない、単なる直感です。

東京都文京区に、武田五一設計の求道会館(大正4年築)があります。長らく廃墟然としておりましたが、近年修復工事も終わり、東京都の有形文化財に指定されています。建物は、外観・内部共、西洋の教会のような造りですが、実は仏教の施設なのです。内部の正面中央奥に、六角堂が奉られていることが、大変印象的です。

この求道会館のプランが、のちの奉安殿(奉掲所)になったのではないかというのが、小生の仮説です。武田五一が、奉安殿の原型を造ったのではないかということです。

奉安殿とは、戦前、各学校に、御真影(天皇・皇后の写真)を保存してあった倉庫であり、講堂の中央には、儀式の際に御真影を奉る奉掲所がありました。広義には、奉掲所も奉安殿と呼んでいます。求道会館のプランは、この奉安殿(奉掲所)に似ているのではないかと小生は考えました。

洋風の講堂の正面中央の壁に、別の建物(祠)が付けられている。講堂・ホールなどの椅子席の建物の中に、別の建物を建て込む例は、奉安殿(奉掲所)と能楽堂が同じ時代だったと記憶しております。求道会館の例は、それよりも早い例になるのではないかと考えます。

そういえば、京都観世会館の隣に、武田五一設計の有鄰館がありますね(全然、関係ない)。

関西の温泉ブーム

これはあくまでも、小生の勝手な仮説なのですが、関西では大正~昭和初期に温泉ブームがあったのではないかと考えています。

その温泉ブームのきっかけは、大正2年に大阪の新世界に登場した「噴泉浴場」、通称「ラジウム温泉」だったのではないかと考えています。建物は洋風で、それまでの和風の温泉旅館とは全く違う、ちょっと前のヘルスセンター、昨今のスーパー銭湯のような、1日を楽しく過ごせる施設だったようです。

この「ラジウム温泉」が大人気で、その影響なのでしょう、大阪市内・近郊の銭湯も洋風の建物が多くなり、現在も登録文化財に登録されるような銭湯がいくつか残っております。また、関西では、銭湯が温泉を名のる例の多いのも、この新世界の「ラジウム温泉」の影響なのではないかと小生は考えます。

本物の温泉地でもこの影響を受け、大型の共同浴場を建築家に依頼し、集客を図ったのではないでしょうか。武田五一の温泉施設も、この流れの中にあるのではないかと考えます。

ちなみに、関東では同じ時期に、寺院のような唐破風の付いた銭湯の建物が流行ります。

余談として、関西の銭湯は、円形や小判型の浴槽が洗い場の中央にある例が多く、関東では、四角い浴槽が洗い場の一番奥の壁についている例が多いものです。小生は、関西の銭湯が、温泉の共同浴場のマネをしたものではないかと考えています。洗い場中央の湯船から湯を汲み、身体を洗うのです。関東のように、一辺しか洗い場に面していない浴槽では、湯船から湯を汲む方式では、多くの客をさばくことができません。必然的に、洗い場にカランが多く並ぶことになります。関西では、基本的にはカランは洗い場の周囲のみです。

近代建築の好奇心 武田五一の軌跡

「建築家・武田五一展(仮称)」としてお知らせしてきた、文京区の文京ふるさと歴史館の特別展の正式タイトルが決まりました。

文京ふるさと歴史館 特別展のご案内
「近代建築の好奇心 武田五一の軌跡」

武田五一(1872~1938)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した、近代日本を代表する建築家のひとりです。その活動は関西が中心でしたが、東京帝国大学に学び、西片に住み、求道会館(本郷6丁目、大正4年)・求道学舎(大正14年)という建築作品を残した文京との関わりにも注目されます。今回の特別展では、建築のみならずデザイン・工芸・インテリアの分野や、教育者として、また文化財保護にも貢献するなど、極めて多岐にわたる活躍をした武田五一について、文京・東京での足跡を中心に、その生涯と作品を紹介します。  

主 催:文京区教育委員会・文京ふるさと歴史館
企画協力:武田五一展ワーキンググループ、名古屋市美術館
後 援:明治美術史学会
会 期:平成17年 10月22日(土)~12月4日(日)
開館時間:午前10時~午後5時 休館日:月曜日
入 館 料:一般300円・団体(20人以上)210円
中学生以下・65歳以上は無料 ※11月3日は無料公開日

記念講演会:「武田五一とアール・ヌーヴォー」
 講師/足立裕司氏(神戸大学工学部建設学科教授)       
 日時/11月12日(土)午後2時~4時
 会場/求道会館(文京区本郷6-20-5) 参加費/無料
 定員/90人(超えた場合は抽選)
 申込方法/往復葉書に「記念講演会」、住所、氏名、電話番号を明記し、返信用にも宛名を記入の上、ふるさと歴史館までお送りください。10月27日必着。

まちあるき:「五一ゆかりの文京を歩く」
 日時/11月19日(土)午後2時~4時
 コース/(1)東大コース (2)西片コース
 ※(1)(2)とも求道会館集合、内部見学ののち、各コース別の見学となります。
 案内/五一展ワーキンググループ・メンバー
 定員/各コース40人(超えた場合は抽選)
 参加費/80円(保険料実費) 申込方法/往復葉書に希望コース番号、住所、氏名、電話番号を明記し、返信用にも宛名を記入の上、ふるさと歴史館までお送りください。11月1日必着。

求道会館一般公開日:10月22日(土)、11月26日(土) 午後1時~2時30分
 申込/不要、当日会場まで 所在地/文京区本郷6-20-5

関連企画 :名古屋近代建築運動史の群像Ⅰ 武田五一 ―建築意匠と装飾― 〔仮称〕
     会期/平成18年1月28日(土)~3月26日(日)
会場/名古屋市美術館(名古屋市中区栄2-17-25 052-212-0001)

文京ふるさと歴史館 〒113-0033 東京都文京区本郷4-9-29  ℡ 03-3818-7221
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/rekishikan/index.html
丸ノ内線・大江戸線本郷三丁目駅または三田線・大江戸線春日駅下車徒歩5分、都営バス真砂坂上下車徒歩1分

建築家と共同浴場

PC220047.jpg

武田五一が、3つの温泉地の共同浴場に関わっていたことは、すでに述べました。

小生は、「武田五一が温泉好きだったのではないか」という仮説を考えました。昨日、近代建築探訪MLの仲間であるチュ~太郎さんにお会いしたおり、著名建築家による共同浴場の事例はあるだろうかと尋ねたところ、辰野金吾武雄温泉(大正4年築)、岡田信一郎城崎温泉「一の湯」「まんだら湯」(昭和3年築)などの例があると、即答を得ました。さすがチュ~太郎さんです。

武田五一の共同浴場は、昭和4年の山代温泉、昭和5年の山中温泉、そして昭和9年の白浜温泉ですので、岡田信一郎の城崎温泉の例に影響を受け、武田五一に依頼があったというのが本当のところかも知れません。しかも、どちらもRC造の和風の共同浴場です。ライバル心もあったかも知れません。

しかし、何故か東日本の温泉地の共同浴場には、著名建築家の関わった共同浴場というのを聞きません。

写真は、辰野金吾設計による佐賀県の武雄温泉楼門です。この度、国の重要文化財の指定が決まりました。

武田五一と三朝温泉

武田五一に関係する温泉には、もう一カ所、鳥取県の三朝温泉があります。

三朝は「みささ」と読みます。鳥取県の中央部、倉吉の南に位置する温泉地で、世界屈指のラジウム泉として有名です。かつては「放射能泉」と宣伝しておりましたが、放射能では忌諱する方もあるようで、現在では「ラジウム泉」となっております。

さて、この三朝温泉の武田物件は、昭和9年の三朝橋(三朝大橋)と、その橋の突き当たりにある温泉旅館万翠楼です。三朝橋は、平成9年に登録有形文化財として登録されましたが、万翠楼は新築され、残念ながら現存しておりません。

三朝橋は温泉街の中央にあり、RC造ながら、青御影石の欄干や擬宝珠、石燈籠など、本格的な和風の橋のデザインとなっています。大変交通量の多い橋で、欄干が壊れたりする事故が頻繁にありますが、その都度、ちゃんと修復されております。橋のたもとには無料の露天風呂があり、橋から丸見えですので、交通事故多発の一因かも知れません。

万翠楼は、木造3階建で、望楼あり、大きな唐破風の車寄せや千鳥破風あり、各階に朱の手摺りを巡らせと、大変にぎやかな目立つ建物だったようです。武田五一研究者の小林淳男さんがおっしゃるには、同じく武田五一の設計である大阪城に、部分的に雰囲気が似ているとのことでした。三朝橋の突き当たりにあり、両方を一体としてデザインしたものと思われます。

武田五一の見分けかた

ここで、「武田五一の見分けかた」をご紹介しましょう。

と言っても、これは小生が考案したのではなく、在野の武田五一研究者である小林淳男さんからお聞きしたものです(と、逃げを打っておく)。ちなみに、さきたかさんは、「たぬきさまが言ったとか。」とお書きになっておられます。はて、どちらの考案になるものか?

「武田五一の見分けかた」は、次の3つです。
1) 3連アーチ
2) 左右非対称
3) 平面的デザイン

この「武田五一の見分けかた」は、例外も沢山ありますし、他の設計者の物件の場合も多々あります。しかし、「五一っぽい」とか、「五一風だ」とか、「五一グループの作品ではないか」などと、小生などがまちを歩きながら話しているのは、この「武田五一の見分けかた」に拠ります。

本当は、ちゃんと文献を読んで、しっかりと研究しなければならないのですが(笑)。

山中温泉総湯「菊の湯」

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「武田五一と温泉」というテーマを与えられて、いろいろ調べています。

この写真は、石川県山中温泉の総湯(共同浴場)「菊の湯」です。武田五一設計、RC造で、昭和5年の建物でしたが、残念ながら老朽化で解体されました。平成4年に、旧の建物を復元して新築されました。この写真は、昨年夏に撮影してきたものです。

外観は、共同浴場とは思えない、まるで寺院のような建物で、軒先には風鐸まで付けられています。内部は、外観とはうって変わって、柱や天井にRCの構造がそのままむき出しでした。長細い建物の両側に出入口があり、内部は3室で、中央に浴室1室、各出入口に脱衣室がそれぞれ1室という構成でした。左右の脱衣室のいずれからも、同じ浴室に入る形です。おそらく、建築当時は混浴だったものと思われます。その後、男湯専用となっており、女湯はとなりにあった福祉センターの浴場を利用しておりました。

平成14年に、広場を挟んだ向かいに、この「菊の湯」とそっくりな女湯専用の共同浴場の付属した施設「山中座」が新築されました。

「高知遺産 いきなり、東京展」開催

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「高知遺産 いきなり、東京展」の開催です。

この春、高知で発売早々に話題となり、たちまち増刷となった『高知遺産』。この本の元ともなった「高知遺産展」が、東京にやってきます。会期は、7月13日から8月14日まで。会場は西池袋のポポタムさん。

写真は、昨年、小生が撮影した旧高知県立第一中学校(現、県立追手前高校)の建物。武田五一の設計です。小生は「高知遺産展」には出品しておりません、念のため(笑)。

「建築家・武田五一展(仮称)」開催のお知らせ

この秋、文京ふるさと歴史館で「建築家・武田五一展(仮称)」が開催されます。

この企画展は、東京都文京区の文京ふるさと歴史館と、愛知県名古屋市の名古屋市立美術館の共催によるもので、これまで未公開だったものなども沢山展示される予定です。

・文京ふるさと歴史館「建築家・武田五一展(仮称)」
  2005年10月22日~12月 4日
・名古屋市立美術館「名古屋近代建築運動史の群像I 武田五一-建築意匠と装飾-」
  2006年 1月28日~ 3月26日

小生も、市民協力者に入れてもらってお手伝いをしており、図録に載せる小文などを書いております。以後、文章を書くにあたって見つけた面白い情報などを、お知らせします。ご期待ください。