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戦後の竹筋コンクリート物件

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竹筋コンクリートについては、これまでこのブログで情報を募ってきましたが、これはという物件には出会えずにおりました。
この度、沖縄県の竹富島へ行く機会があり、そこで竹筋コンクリートの情報を得ました。1953年築の「なごみの塔」と呼ばれている国登録有形文化財で、もともとは放送台として住民総出で築いたということです。伝建地区の中心にあり、現在は展望台として観光スポットとなっています。
歴史民俗資料館で竹筋コンクリート造(一部鉄筋)であると聞き、戦後にも竹筋コンクリート造の物件があるのだと驚きました。
小生もこの「なごみの塔」に登ってみましたが、踏面が10センチくらいしかなく、蹴上げも35センチ、斜度60度という階段で、とにかく怖ろしい展望台です。手すりが非常に肉厚であるのが、竹筋コンクリート造ゆえなのでしょう。

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「なごみの塔」からの展望

東洋+西洋=伊東忠太 ―よみがえった西本願寺「伝道院」―

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大阪市北区天満橋の「大阪くらしの今昔館」で、現在開催中の『東洋+西洋=伊東忠太 ―よみがえった西本願寺「伝道院」―』ですが、入りはどんな具合なのでしょう。評判が、あまり聞こえてこないような……。6月9日(土)から7月8日(日)までの開催ですが、もう終盤ではありませんか。春に東京の「ギャラリーエークワッド」で開催した展示の巡回展ですが、東京とは別のものも展示されるとのことですので、とても期待しておりました。
http://konjyakukan.com/kikakutenji.html

さて、本日、その関連イベントであるシンポジウム「伊東忠太が目指した日本の様式建築」の参加証が届きました。申込順先着200名ということでしたが、無事に入れることになりました。通し番号がなんと1番ということで、これは一番目の申込みだったのでしょうか? 大阪では、伊東忠太は人気がないのかなぁ~と、ちょっと心配しています。まだ定員に達していないのかも知れませんので、関心のある方は、どうぞお申込み下さい。シンポジウムの開催は、7月6日(金)の18:30から20:30まで。大阪市中央区本町の竹中工務店大阪本店「いちょうホール」(御堂ビル1階)です。

小生は、夜行バスで大阪入りの予定。シンポジウム翌日は、京都の西本願寺伝道院を見てこようと思っております。修復工事が終わってから、まだ見ていないもので。

旧長崎刑務所の現状

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3年ぶりに、諫早の旧長崎刑務所を訪ねました。

2007年の夏に、旧長崎刑務所は正門と管理棟の一部だけを残して、慌ただしく解体が進められました。当時、全面保存は無理でも正門くらいは残さなくてはならないと思い保存運動を行なっておりましたが、管理棟の一部も残してくれたと聞いて喜んでいました。しかしながら、ネットで検索して探し出した解体後の写真を見て、その何とも無残な姿に愕然としておりました。

ようやく今回、解体後の旧長崎刑務所へ行く機会を得、敷地はどのような開発が進んでいるのかと思っておりましたら、現地は広々とした土色の更地が広がるばかり。煉瓦造の旧長崎刑務所の正門と高い塀の一部、そして管理棟の中央の塔屋部分がポツンと残されておりました。あの2007年の夏に、なぜ解体を急いだのか。結果論ですが、その後の経済状況の変化を考えると、あの夏さえ持ちこたえていれば旧長崎刑務所の建物群は今もまだ残っていたかも知れません。更地のまま、こうして今も開発計画が頓挫したままとなっているのですから。

今は、この解体を免れた旧長崎刑務所の正門と管理棟の塔屋を、どうすれば良いかを考えなければなりません。ただのモニュメントとして保存するのではなく、地域の誇るべき歴史的文化財として活かしてほしいと願うばかりです。よもや、再度の解体など無いように。まずは、文化財指定を進めるべきでしょう。

緊急シンポジウム「東京・大阪中央郵便局の文化財的価値」開催のお知らせ

東京中央郵便局・大阪中央郵便局の保存問題について、緊急シンポジウムのお知らせが届きました。転載自由ですので、ぜひ、多くの皆さんに告知をお願いいたします。

【緊急シンポジウム「東京・大阪中央郵便局の文化財的価値」開催のお知らせ】
 日時:2009年3月22日(日)13:00~18:00
 会場:建築会館ホール(東京都港区芝5-26-20)
http://www.aij.or.jp/jpn/symposium/2009/20090311.pdf

【日本建築学会の東京中央郵便局庁舎、大阪中央郵便局庁舎に対する歴史的価値に関する見解 2009年3月11日】
http://www.aij.or.jp/jpn/databox/2009/20090227.htm

【緊急シンポジウム 近代建築を考える・駅前シンポジウム 大阪中央郵便局舎をもっと良く知ろう!】
 日時:2009年3月26日(木) 18:00~20:00(17:30受付開始)
 会場:大阪市立大学文化交流センター大阪駅前第2ビル6階(06-6344-5425)
 参加方法:当日自由参加
http://www.aij.or.jp/jpn/databox/tadantai/20090313.pdf

深谷のホフマン窯の一般公開

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今日の読売新聞埼玉版に、深谷の旧日本煉瓦製造の一般公開のお知らせが出ておりました。1月24日(土)、25日(日)の2日間、午前10時~午後3時、申込み不要で直接現地へとのことです。問い合わせ先は、深谷市教育委員会生涯学習課(048-572-9581)まで。

「国重文の煉瓦工場公開 深谷」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20090119-OYT8T01083.htm

この工場は、東京駅の煉瓦を焼いたことで有名で、国内に現存する数少ない「ホフマン窯」も見学できます。

天気がよければ、小生も見に行こうかと思っています。


【追記】
1月25日、終了間際に駆けつけて見学してきました。

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ホフマン窯のイメージとして、シモレンの円形のものを思い浮かべてしまいますが、この旧日本煉瓦製造のものは楕円形でした。しかも、トタンの覆い屋で覆われており、ちょっと残念でした。

24日に約1,500人、25日に約2,000人が見学に訪れたとのことです。教育委員会の方の説明では、今後も公開の機会をつくりたいとのことでした。

「東京駅や日本銀行もここから 窯など一般公開」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0124/TKY200901240065.html

「旧れんが工場 24日から公開 深谷」(埼玉新聞)
http://www.saitama-np.co.jp/news01/23/01.html

保内町の竹筋コンクリート橋

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昨年末、愛媛県の八幡浜市保内の町を歩いた折、竹筋コンクリートの情報を得ました。昭和16年架橋の「旧和田橋」が、竹筋コンクリート造だったとのこと。残念ながらこの「旧和田橋」は、平成11年の台風で倒壊してしまい、現在は親柱と花崗岩の部材とでモニュメントとして展示保存されています。

竹筋コンクリート造の「旧和田橋」はどんな姿だったのか、竹筋コンクリートが使われていたのはどの部分だったのか、そして、倒壊する前から竹筋コンクリート造ということが知られていたのか等々、知りたいことばかりです。

ネットで検索してみると、岡崎直司さんのブログのコメントに、ちょっと出てくる程度です。「旧和田橋」について、もっと詳しい情報をお持ちの方、ぜひお知らせください。

どうも、現存の竹筋コンクリート造には、なかなか簡単には出会えないようです。

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現在の和田橋

動画「まちかどの近代建築」

山形県長井市で開催された、2008年ショートフィルムコンテスト「ながい×じかん」に出品した作品です。この1年間に全国各地で撮影した「全国編」と、長井市内で撮影した「長井編」の2本で、それぞれ3分間のスライドショーになっています。

「まちかどの近代建築(全国編)」

「まちかどの近代建築(長井編)」

木造駅舎の巨大な「しゃこちゃん」

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近代建築ではありませんが、青森県の旧木造町(現つがる市)といえば、この木造駅舎(平成4年築)を採り上げなければなりません。京都工芸繊維大学の中川理先生の著書『偽装するニッポン』で見たのか、都築響一著『ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行』か、五十嵐麻理著『日本珍スポット100景』だったか、とにかく良くも悪くも、インパクトのある建物です。

地元の亀ヶ岡遺跡から発掘された国の重文の遮光器土偶(愛称「しゃこちゃん」)を、巨大化して取り付けています。叩いてみるとコンクリート製で、中は空洞ではなく充填されていました(足の部分以外は、あるいはハリボテかも知れません)。ウィキペディアによれば「以前は列車の発着に合わせて土偶の目を点滅させていた(「いらっしゃいビーム」)が、子供が怖がるため最近は自粛している。リクエストがあれば点滅可能らしい。」とのこと。

※なお、この「しゃこちゃん」は高さ17.3mとの記載もありますが、どう考えてもそれほど巨大ではないです。17.3mというと、6~7階建てのビルに相当しますから。2階建ての駅舎に付いているのですから、せいぜい7~9mくらいでしょう。

で、この「しゃこちゃん」ですが、五能線の列車の乗客からは全く見えないというのも、困ったものです。どうやら、町民向けに立っているようです。

それにしても、木造(きづくり)という地名は、検索には困ったワードです。木造駅舎は、各地の「もくぞう」の「えきしゃ」がヒットしてしまいます(笑)。

偽装するニッポン―公共施設のディズニーランダゼイション ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編 (ちくま文庫) 日本珍スポット100景

古い建物は全て危険なのか

昨日、渋谷で木造2階建の民家が倒壊したというニュースがありました。築80年ほどの建物ですが「老朽化で自然倒壊したものと見られている」という報道でした。

さて、今年の5月、中国の四川省で大地震があり、その直後に書き始めた、書きかけの文章があります。なかなか結論が出せずに、ずっと書きかけのままとなっていたのですが、昨日の民家倒壊のニュースを受けて、これは発表しておかなければならないと思い、少し手直しをしてUPすることにしました。

中国・四川省大地震では数多くの校舎が倒壊し、生徒・学生たちの痛ましい状況が報道されました。

この報道を受け、「日本の学校は大丈夫なのか?」という声も多く聞かれました。朝日新聞の記事によれば、1981年以前に建設された、古い耐震基準が適用された公立小中学校の校舎が、全国で約8万棟。そのうち、改修済みが約2万7千棟で、残りは、耐震診断で危険と判定されたか、耐震診断自体を受けていない校舎なのだとか。

さて、ここでかねてよりの疑問なのですが、古い建物は即、危険な建物なのでしょうか? 時間を経過した建物は、当然、老朽化します。しかし、老朽化とは、配管や塗装などの設備面の劣化が中心ではないかと思うのです。もし、構造自体も老朽化するのだとすれば、町の建物は一定の経年ごとに建替えられなければならないことになります。つまり、古い建物は全て一掃し、常に新しい建物に建替え続けなければならないことになります。しかし、何か変ではないでしょうか。だって、古い建物の街並みは、確かに存在するのですから。

木造は別として、鉄筋コンクリート(RC)造の建物について考えてみたいと思います。小生が子供の頃(40年くらい前)、RC造の建物は、「永久建築」とか「100年持つ」と聞かされていました。その後、大人になってから、RC造の建物の寿命は50年とか、40年とか聞くようになり、「アレ?」と思っておりました。

設備面での劣化に対しては、適切な保守を行なうのは当然です。これは、何もRC造の建物に限ったことではありません。しかし、もし仮に、RC造の建物の構造に対して、経年係数のようなものがあるのだとすれば、これまでの考え方を根本的に考え直さなければならないことになります。建築の専門家の方にぜひお聞きしたいのですが、老朽化=危険という図式は本当に正しいのでしょうか。

適切にメンテナンスを続けていけば、建物は半永久に保つことができるのではないでしょうか。「老朽化」が危険なのではなく、「必要なメンテナンスを怠ること」が危険なのではないでしょうか。

もちろん、手抜き工事や、偽装設計などは、当然ながら論外なことです。そういったことを除外したうえで、真っ当に建てられた建物についても、「老朽化」即「危険」と報道され、それが世間で正しいことと認知されていることに、どうしても納得がいきません。古い建物が危険なのではなく、必要な手入れを怠った建物が危険なのです。

建築家の方々、建設会社や工務店など建築を職業とするプロの方々、どうぞ、この当たり前のことを公言してください。世の流れは、誤った認識によって誤った方向に向かいつつあるように思われてなりません。

「崖の上のポニョ」の家

崖の上のポニョ イメージアルバム

4年ぶりの宮崎駿監督によるジブリ映画『崖の上のポニョ』が、来週7月19日より公開されます。作品の出来も気になるところですが(笑)、小生としては、どうしても主人公の家である「崖の上の家」が気になります(爆笑)。
http://www.ghibli.jp/ponyo/

イメージアルバムのジャケット画にもなっている「崖の上の家」ですが、何かモデルになった家でもあったのでしょうか。NHKでやっていた宮崎駿監督のドキュメンタリーでは、広島県福山市の鞆ノ浦で構想を練っており、海を見渡す崖の上の家がお気に入りだったとか。ただし、その家は純和風の家で「崖の上の家」とは全く似ていません。
http://swan.srv7.biz/

「崖の上の家」を見て、小生が似ていると思ったのは、昨年、愛知県犬山市の明治村に移築復元された「旧芝川又右衛門邸」です。
http://www.meijimura.com/visit/s68.asp#a01

あるいは、大阪府堺市の「旧是枝近有邸」とか。
http://www.city.sakai.osaka.jp/kyoiku/_syougai/_kyouiku/bunkazai/koreeda.html

「崖の上の家」は、まあ、普通の2階屋ではありますが、崖の上にそびえ建っているからでしょうか、階高が高いように感じられます。総2階建てで、出窓があったり、テラスがあったりするところが、洋館っぽい感じです。

皆さんにとって「崖の上の家」は、どの家をイメージされることでしょうか。

吉田鉄郎のドキュメンタリー

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昨日、田町の建築会館ホールで「日本における近代建築の原点~吉田鉄郎の作品を通して~」というシンポジウムがあり、会社帰りに寄ってきました。
http://news-sv.aij.or.jp/jnetwork/scripts/view30.asp?sc_id=2007

現在、東京中央郵便局(昭和6年築)と大阪中央郵便局(昭和14年築)の両局が、建て替え・解体の危機にあります。この両局を設計したのが、逓信省営繕課の吉田鉄郎でした。

昨日のシンポジウムでは、まず第一部として、富山テレビが制作したドキュメンタリー「平凡なるもの~建築家 吉田鉄郎物語~」が上映されました。
http://www.bbt.co.jp/bspe/index336.html

この作品は、東京中央郵便局、大阪中央郵便局の建て替えの情報を契機に、吉田鉄郎の出身地である富山のローカル局のディレクター東亜希子氏が、吉田鉄郎の生い立ちと作品に込めた思いを、冷静に丁寧にまとめたものでした。ナレーションは女優の中島朋子、ドイツやスウェーデンのロケまであり、地方局がよくここまで取材できたものだと思います。本気度が違います。

この作品は、今年の5月19日に地元の富山だけで放送されたとのことでしたが、それだけでは惜しい、上質な作品でした。今回の上映会などのように各地で上映の機会を持つべきだし、おそらく、いずれ全国ネットで放送される作品だろうと小生は期待しています。富山テレビのネット局であるフジテレビに放映を要望すれば、全国放送への一助になるかも知れません。

休憩をはさんで第二部では、時間が押してしまってほんの短い時間でしたが、東大の鈴木博之先生、日大の田所辰之助先生、建築家の兼松紘一郎氏、「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の多児貞子氏、そして富山テレビディレクターの東亜希子氏のお話を聞くことができました。

今、東京駅前に立つと、まるで四角いケーキに羊羹を突き立てたような、あるいは地面に置いたナットに頭の付いていない太いボルトを挿したような、そんなバランスの悪いビルがあちこちに建つ「異様」で「奇妙」な光景が広がります。東京中央郵便局も、同じような形で建て替えるという計画が発表されました。これ以上、こんな形での建て替え物件を増やしてはいけないと思います。できれば、今のままの形での保存が良いのですが……。ちなみに、東京駅は、昔の姿に復元工事が始まったところです。

吉田鉄郎が設計した、現存するおもな物件は下記の通り(ウィキペディアより)。いずれも、地域の人々に愛され、多くは文化財として大切に保存されています。

・京都中央電話局上京分局(現・カーニバルタイムズ) (大正13年築) 京都市登録有形文化財
・京都中央電話局(現・新風館) (大正15年築) 京都市登録有形文化財
・検見川無線送信所 (大正15年築)
・別府市公会堂(現・別府市中央公民館) (昭和3年築)
・別府郵便局電話事務室(現・別府市児童館) (昭和3年築) 国登録有形文化財
・馬場邸(現・最高裁判所長官公邸) (昭和3年築)
・東京中央郵便局 (昭和6年築)
・馬場烏山別邸(現・第一生命グラウンド光風亭) (昭和12年築)
・大阪中央郵便局 (昭和14年築)
・馬場熱海別邸 (昭和15年築)

建築家・吉田鉄郎の『日本の建築』―JAPANISCHE ARCHITEKTUR,1952 (SD選書) 建築家・吉田鉄郎の『日本の住宅』 (SD選書) 建築家・吉田鉄郎の『日本の庭園』 (SD選書) 建築家・吉田鉄郎の手紙 建築家吉田鉄郎とその周辺 (相模選書)

バウハウス・デッサウ展

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一昨日、上野の藝大美術館で開催中の「バウハウス・デッサウ展」へ行ってきました。ブロガー特別鑑賞会という、閉館後(17時10分~19時)、定員20名だけ、写真撮影可(条件付)という、何とも素晴らしい状況下での鑑賞でした(応募多数で、定員枠を50名まで広げたと後に知りました)。

まず、今回の展示で、これまで小生が勝手に思いこんでいたことが誤りであることに気付きました。時代順に「アール・ヌーボー」-「アール・デコ」-「バウハウス」だと思いこんでいたのですが、展示されていた年表で見ると「アール・ヌーボー」-「バウハウス」-「アール・デコ」の順だったのですね。とすると、バウハウスが突き抜けて、現代につながる画期的なものだったということです。装飾性を排した、無機質で機能的なデザイン。あるいは、装飾、その反動で非装飾、再び装飾という、揺り戻しだったのか。

バウハウスは、1919年から1933年までというほんの短い間に、ドイツで展開した教育機関の実践活動でしたが、そのインパクトは衝撃的であり、その後の世界への影響力は今もなお続いています。今回の展示もそうですが、バウハウスの活動は多方面にわたっています。多様な才能を持った教育者が集まり、デザイン、絵画、写真、工芸、染色、舞踏、演劇、そして建築など、さまざまなジャンルでの実験的な活動をくりひろげました。

過去、セゾン美術館や宇都宮美術館でのバウハウス展での展示でもそうでしたが、小生の興味は、家具、ポスター、建築といった分野にのみ惹きつけられてしまいます。絵画や舞台芸術などは、どうも前衛すぎて面白くないというか、わからないというのが実情です。

今回の「バウハウス・デッサウ展」は、ハウハウス中期から後期にかけての、現在も残るデッサウのバウハウス校舎での活動を中心に展示しています。

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第一部は「バウハウスとその時代」で、バウハウスに到る様々な運動や活動、そしてヴァイマールでの初期バウハウスの活動を、地下1階の展示室を使ってざっと紹介しています。まあ、言われてみればそうなのですが、ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスから説きおこすかと思いました。創設期のバウハウスの工芸品の数々のいとおしさ。機械化、量産化を目指しながらも、多分に手工芸的なところを残した陶磁器やテーブルランプなどが、印象に残っています。

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第二部は「デッサウのバウハウス」。3階の広い展示室を使った、今回のバウハウス展の中心展示です。まず、各教授たちの基礎教育の授業内容の紹介。そして、工房の紹介として、金属、家具、織物、壁画、印刷・広告の5工房に絞っての作品の紹介。さらに、実験的な写真芸術、舞台工房の映像や舞台装置の図案など。小生の興味は、やはり家具や金属に向かいます。

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工房での試作と外部での量産という「バウハウススタイル」、多様なユニット化の試みなど、バウハウスの活動は、その後の機械化・工業化の生産につながる先駆けであったことがわかります。ただし、決して意図したものではないのでしょうが、バウハウスの時代にはまだ手造りの親しさ・温かさが残っており、その後の時代の工業製品の疎外感・冷たさはありません。

印刷・広告では、肉太の黒々としたレタリング、様々な級数で構成するタイポグラフィなど、派手さはないものの、訴える力のあるデザインが印象的でした。そして、効果的に使われる朱赤。それはちょうど、日本の書道や日本画などの落款印のような効果があります。まるで日の丸の旗のようなデザインの展示もありました。

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第三部は「バウハウスの建築」。世界遺産となった「バウハウス校舎」などの模型と写真、図面の展示、そして校長室が原寸大で再現され、その室内へ立ち入ることも許されています。恥ずかしながら、バウハウスの「バウ」とは「建築」のことだったと、今回初めて知りました。バウハウスの最終目標は建築であるとする「バウハウス宣言」は、建築に興味を持つ者にとって、どれだけ力強い支えとなっていることでしょう。諸学の中心が哲学であるように、諸芸術の中心が建築であると。

バウハウスの建築の特徴は、鉄とガラスとコンクリートであり、現代に続くモダニズム建築の先駆けでもあります。しかし、工芸でもそうだったように、バウハウスの建築も親しさ・温かさを感じるのは、彼らには不本意だったかも知れませんが手作業の残る仕上がりゆえだと思われます。技術的にも未熟であり、実験的な試行錯誤による建築現場での作業により、それまでにない新しい建物を実現させました。バウハウスの建物を象徴するものは、建物から飛び出した、飛び込み台のような支えのないテラス(ベランダ)ではないかと思いました。鉄パイプの手すりとともに。

今回、ブロガー特別鑑賞会という、願ってもない機会を与えてくださった主催者の方々に、厚く御礼を申し上げます。お土産にいただいた図録の、なんと厚いことか。746頁もあります。最近の図録は、厚さを争っているのでしょうか(笑)。

最後に、以前は週末の夜間開館を実施している美術館や博物館が結構ありました。わざわざ美術展のために都心まで出てくるのではなく、仕事帰りにフラリと気軽に鑑賞できるということは、どんなに素晴らしいことでしょう。スタッフの方々のご負担も大変かとは思いますが、週末の夜間開館の実施について、ぜひご検討いただきたいと思いました。

バウハウス・デッサウ展 BAUHAUS experience, dessau
http://www.bauhaus-dessau.jp/
【会期】2008年4月26日(土)~7月21日(祝・月) 月曜休館
【開館時間】午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
【会場】東京藝術大学大学美術館[東京・上野公園]
(〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8)
【主催】東京藝術大学、産経新聞社
【共催】バウハウス・デッサウ財団
【巡回先】2008年7月29日(火)~9月7日(日) 浜松市美術館
2008年9月13日(土)~10月19日(日) 新潟市新津美術館
2009年1月25日(日)~3月29日(日) 宇都宮美術館

バウハウス―その建築造形理念 (SD選書 156) バウハウス バウハウス (コンパクトミディ・シリーズ) 美の構成学―バウハウスからフラクタルまで (中公新書)

小林多喜二の過ごした小樽の街並み

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

このところ小林多喜二の『蟹工船』が売れに売れ、新潮社では古い文庫本では異例の2万7000部の増刷をかけたということがニュースになっていました。

小林多喜二といえば、小樽生まれの小生にはなじみ深い作家です。小樽にゆかりのある作家といえば、石川啄木、伊藤整、そして小林多喜二と、だいたい相場が決まっていました。いずれも市内に文学碑があり、ガイドブックには必ず載っています。小林多喜二の文学碑は、小樽港を見下ろす旭展望台にあり、労働者の首の付いた煉瓦色の文学碑は、子ども心に怖かった思い出があります。
http://www.otarucci.jp/kankou/bunka/bungakuhi/bungaku002.html

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旧北海道拓殖銀行小樽支店(大正12年築)

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旧三菱銀行小樽支店(大正11年築)

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旧第一銀行小樽支店(大正13年築)

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旧三井銀行小樽支店(昭和2年築)

小林多喜二は、生まれは秋田県の下川沿村(現大館市)ですが、4歳のときに小樽に渡り、大正13年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業後、市内の北海道拓殖銀行小樽支店に勤務します。現在「ホテルヴィブラントオタル」となっている旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物は大正12年に建てられましたので、新築翌年の銀行の建物で勤務していたことになります。なお、この拓銀のある交差点には、大正11年築の旧三菱銀行小樽支店、大正13年築の旧第一銀行小樽支店が、また拓銀の並びには昭和2年築の旧三井銀行小樽支店の建物が現存しています。小林多喜二が勤務していた頃は、ちょうど小樽の銀行の新築ラッシュだったのです。

昭和4年に『蟹工船』が発表。同じ年に発表した『不在地主』が原因で拓銀を解雇され、翌年、小樽を離れ、東京に移り住みます。そして、昭和8年に特高に逮捕され、築地警察署内での拷問により獄死します。

今、大ヒットしている小林多喜二の『蟹工船』ですが、小生は今から30年くらい前、中学生のときに読みました。小生の感想としては、ちょっと読みにくい、粗削りな作品という印象があります。小林多喜二の『蟹工船』よりも、葉山嘉樹の『海に生くる人々』のほうが、読みやすく、小説としても完成していると思いました。ちなみに、小林多喜二は、葉山嘉樹の『海に生くる人々』を読んで『蟹工船』の執筆を決意したといいます。

小林多喜二の『蟹工船』を読んだ方は、ぜひ、葉山嘉樹の『海に生くる人々』や『セメント樽の中の手紙』、徳永直の『太陽のない街』なども読んでみてほしいと思います。

なお、少々時代が下りますが、小樽の映画館の数は、ピーク時には23館もありました(昭和30年~35年頃)。当時、小樽市の人口は約18~9万人だったので、「小樽は人口比で8000人に一館の映画館を持つ、北海道随一の映画館のまち」でした。大正末には、小樽には10を超す映画館があり、小林多喜二の日記には、小樽の映画館で見た映画の感想などが綴られているといいます。

また、小樽の銭湯の数も、ピーク時(昭和40年頃)には72軒もあったといいます。同じ町内に何軒も銭湯があるという状況でした。今では、銭湯の数は20軒ほどになっていますが、町の規模からすると、今でも小樽は銭湯の多い町です。

ガイドブック 小林多喜二と小樽 (新日本Guide Book) 小樽 小林多喜二を歩く ガイドブック小林多喜二の東京

登録文化財の登録抹消情報のページ

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平成8年からスタートした国の登録文化財(登録有形文化財)制度ですが、登録総数はすでに7000件を越え、全国的に制度が定着してきたように思われます。海外の事例に比べれば、まだまだ登録数はケタ違いに少ないのですが、少なくとも登録数は着実に増えています。

さて、官報にときどき「登録抹消」の告示が出ることがあり、建物が火事になったのか、解体されてしまったのかと心配になることがありました。実際には、市町村や都道府県、国の重要文化財に指定されること(格上げ)で、登録文化財の登録が抹消される例が多いのですが、今までその実態を掴めずにおりました。

今日、たまたま文化庁のHPで、「登録の抹消について」というページを見つけました。
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shurui/touroku_yukei_masshou.html

このページの情報によれば、平成19年12月5日現在、登録文化財の抹消総数は145件、そのうち、焼失や解体などによる抹消は44件とのこと。この数字、多いのか、少ないのか。小生の感想では、これは予想外に多いと感じました。

小生のHPに登録文化財のリストを公開しておりますが、この抹消情報も加えることにしたいと思います。

(文化庁の方にお会いする度に、登録文化財の抹消理由を明らかにして欲しいとお願いしていたのですが、これで少しは安心できます。)

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