桜木町の洋館付住宅。
日本各地の近代建築探訪など
ソニックシティに近い飲食店。確か、お寿司屋さんだったか。
大宮製油合名会社。スクラッチタイル貼りのモダンな建物です。
旧中村歯科医院。大宮駅から氷川神社へ行く商店街にあります。
西原小児科医院(大正13年築)。今回訪ねるまで、この建物のことを知らずにおりました。
旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場弾薬庫(昭和12年築)。
旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場守衛所(昭和12年築)。戦後、住宅として使われていたので、内部は大幅に改造されているとのこと。
旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎(昭和12年築)。現在のホンダエアポートの場所が、旧陸軍の飛行場だったと知ったのはごく最近のことです。そして、そのそばに当時の建物が現存していました。戦後は市の引揚者住宅として、つい近年まで使用されていました。現在は空家で、更地にして用地を国に返還する期限が迫っており、保存運動が行われています。
川田谷地区の石倉。大谷石造で、更地になった敷地奥に建っていました。
旧川田谷郵便局。道路の拡幅工事が終わり、見晴らしが良くなりました。
秋山歯科医院。隣地に新しい建物が建ち、診療が行われています。
神山家西側の煉瓦基礎。平方煉瓦製造所のあった場所へのアプローチに当たります。
11月10日(土)、11日(日)の2日間、埼玉県志木市の志木サテライトオフィスセンターで、「まちかどの近代建築写真展in志木」を開催します。埼玉県内の近代建築の写真を展示する予定です。
「埼玉住まい・まちづくり交流展2012in志木」内のイベントになります。
神山家煉瓦蔵(大正10年築)。平方煉瓦製造所の煉瓦で、上尾市指定有形文化財に指定されています。
神山家煉瓦塀(大正10年築)。平方煉瓦製造所の煉瓦で、上尾市指定有形文化財に指定されています。
旧平方村の煉瓦塀(大正築)。平方煉瓦製造所の煉瓦で築かれた煉瓦塀です。
国分スタジオ。裏通りを歩いていたら、突然現れました。棕櫚の具合といい、最高のロケーションの物件です。
堀会計事務所(昭和初期築)。大谷石による彫りの薄いライト式の門柱の奥に、洋館付住宅が見えます。
日吉町の旧商店。道が小さくカーブしていて、どちらからでも側面が見える位置に建っています。
須田医院。サッシや屋根の改修前はどんな姿だったのでしょうか。
江野邸煉瓦小屋。ご当主のお話によると、女中部屋と使用人炊事場として使われていたとのこと。
旧郵便局。正しい名称が不明ですが、1階は郵便局、2階は電話交換所だったとのこと。現在、島田医院として現役です。
旧八十五銀行松山出張所倉庫。保岡勝也設計で、昭和初期築のRC造3階建。内部は太い4本の円柱が梁を支えています。担保にとった繭を保管するための倉庫とのこと。この倉庫の前には、事務所棟も建っていたのでしょう。どんな建物だったのか。
外観のペイントは、ぜひ消して欲しいものです。
竹ノ谷歯科医院。複雑に増築されていますが、玄関部分を見ると下見板張りの建物であることが判ります。
小池茂八商店倉庫。バス通りを隔てた向かい側にも、大谷石造の倉庫があります。
竹筋コンクリートについては、これまでこのブログで情報を募ってきましたが、これはという物件には出会えずにおりました。
この度、沖縄県の竹富島へ行く機会があり、そこで竹筋コンクリートの情報を得ました。1953年築の「なごみの塔」と呼ばれている国登録有形文化財で、もともとは放送台として住民総出で築いたということです。伝建地区の中心にあり、現在は展望台として観光スポットとなっています。
歴史民俗資料館で竹筋コンクリート造(一部鉄筋)であると聞き、戦後にも竹筋コンクリート造の物件があるのだと驚きました。
小生もこの「なごみの塔」に登ってみましたが、踏面が10センチくらいしかなく、蹴上げも35センチ、斜度60度という階段で、とにかく怖ろしい展望台です。手すりが非常に肉厚であるのが、竹筋コンクリート造ゆえなのでしょう。
「なごみの塔」からの展望
小池茂八商店倉庫。大谷石造の大きな倉庫で、元は米倉ではないかと思われます。
旧制松山中学校校舎(大正12年築)。松山高校記念館として、校舎の中央部分を保存しています。