フジヤ。古い建物か、新しい建物か、悩んだ物件です。塔屋には、控えめな飾りが見えます。
日本各地の近代建築探訪など
フジヤ。古い建物か、新しい建物か、悩んだ物件です。塔屋には、控えめな飾りが見えます。
最初、この建物を見かけたとき、正面の白い漏斗型のデザインに目が行きましたが、よく見ると上部右側が階段状の塔屋(?)があり、アールデコになっているではありませんか。
「昭和のレトロ食堂」さんも、気になる存在としてちゃんと取り上げておられました。
http://syouwa.blog54.fc2.com/blog-entry-284.html
北川眼科医院の向かい側にある下見板貼りの平屋。改装著しいのですが、元公共機関の建物ではないかと思われますがいかがでしょうか。
北川眼科医院(昭和12年築)。古そうな建物だと撮影しておいたのですが、調べてみるとやはり由緒ある建物でした。安田祥子・由紀さおり姉妹が、幼少時にここに間借りして住んでいたとのことです。
ブログ「昭和のレトロ食堂」さん
http://syouwa.blog54.fc2.com/blog-entry-126.html
金谷レース工業鋸屋根工場(大正8年築)。日本煉瓦製造製の煉瓦による、イギリス積みのノコギリ屋根の織物工場です。隣の敷地が寺院の墓地なのも驚きでした。
金谷レース工業事務所(昭和初期築)。スクラッチタイル貼り、円窓付きの登録文化財です。建物の前の棕櫚も、近代建築とセットの風景です。
旧桐生高等染織学校門衛所(大正5年築)。群馬大学工学部守衛所として現役です。
旧桐生高等染織学校本館(大正5年築)。現在、群馬大学工学部記念館として大切に保存されています。
一の湯。織物工場の女工さんたちで賑わった銭湯ということです。
森合資会社事務所(大正3年築)。白いタイル貼り、緑青の銅板屋根や飾りが、蔵造りの町並みのアクセントとなっています。
旧北川織物工場事務所(大正5~10年築。昭和3年に洋風に改装)。左隣にのこぎり屋根の木造工場(大正5~10年築)が続いています。現在、無鄰館と呼ばれる芸術家集団工場となっています。
今日の読売新聞埼玉版に、深谷の旧日本煉瓦製造の一般公開のお知らせが出ておりました。1月24日(土)、25日(日)の2日間、午前10時~午後3時、申込み不要で直接現地へとのことです。問い合わせ先は、深谷市教育委員会生涯学習課(048-572-9581)まで。
「国重文の煉瓦工場公開 深谷」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20090119-OYT8T01083.htm
この工場は、東京駅の煉瓦を焼いたことで有名で、国内に現存する数少ない「ホフマン窯」も見学できます。
天気がよければ、小生も見に行こうかと思っています。
【追記】
1月25日、終了間際に駆けつけて見学してきました。
ホフマン窯のイメージとして、シモレンの円形のものを思い浮かべてしまいますが、この旧日本煉瓦製造のものは楕円形でした。しかも、トタンの覆い屋で覆われており、ちょっと残念でした。
24日に約1,500人、25日に約2,000人が見学に訪れたとのことです。教育委員会の方の説明では、今後も公開の機会をつくりたいとのことでした。
「東京駅や日本銀行もここから 窯など一般公開」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0124/TKY200901240065.html
「旧れんが工場 24日から公開 深谷」(埼玉新聞)
http://www.saitama-np.co.jp/news01/23/01.html
ふるた文具。大谷石で覆われた看板建築。少なくとも、石造ではありません。
本町通りの看板建築。あっさりした四角い建物ですが、窓の上に2つのアーチと中央にダイヤの飾りが付いています。
旧矢野倉庫煉瓦蔵(大正9年築)。醤油の醸造業を行なっていた矢野商店の土蔵など11棟の倉庫群の中の煉瓦蔵で、現在、イベントスペース「有鄰館」として活用されています。
桐生倶楽部(大正8年築)。とにかく賑やかな建物です。桐生の大正時代が、どれだけ繁栄していたのかを物語ります。
金善ビル(大正10年築)。商店街の街並みの中で、ひときわ高い建物です。
上毛電鉄西桐生駅(昭和3年築)。JR桐生駅の北500mほどのところにある、かわいらしい駅舎です。
以前にも書きましたが、細々と「ロータリー交差点」の情報収集を行なっております。
>国土交通省のHPによれば、日本では「1934年に日本で初めて東京都の和田倉門交差点に設置されて以来、1941年までに43交差点が整備されました」とあります。
>http://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_06_07.html
この戦前の43交差点がどこかが、興味の中心です。おそらく、このロータリーは国道に設置されたものと思われます。
最近、2カ所ほど、戦前の旧ロータリーであろうと思われる交差点に出会いました。
・桐生市「錦町ロータリー」
検索してみると、このロータリーには、かつて中央に噴水があったとか。
大きな地図で見る
・岡山市「柳川ロータリー」
ロータリーではなかったという記載もありますが、周囲の建物はどうも戦前ではないかと思われます。
大きな地図で見る
この他、岡山市内には次のような旧ロータリーかと思われる怪しい交差点があります。ただ、戦後に整備したような気配もあって、確信は持てません。
旧桐生市水道事務所(昭和7年築)。桐生織物協同組合北側の、道を隔てた敷地に立地しています。現在、桐生市立西公民館として使われており、登録文化財です。
旧赤松外科医院。現在は閉鎖されていますが、縦長窓のなかなかモダンな建物です。
松岡商店(昭和10年築)。桐生織物協同組合の斜向かいにある、円窓とスクラッチタイル貼りの建物。階段状のデザインで統一されています。
桐生織物協同組合(昭和8年築)。スクラッチタイル貼りで、縦の線の強調された、当時の流行を取り入れた外観デザインとなっています。
昨年末、愛媛県の八幡浜市保内の町を歩いた折、竹筋コンクリートの情報を得ました。昭和16年架橋の「旧和田橋」が、竹筋コンクリート造だったとのこと。残念ながらこの「旧和田橋」は、平成11年の台風で倒壊してしまい、現在は親柱と花崗岩の部材とでモニュメントとして展示保存されています。
竹筋コンクリート造の「旧和田橋」はどんな姿だったのか、竹筋コンクリートが使われていたのはどの部分だったのか、そして、倒壊する前から竹筋コンクリート造ということが知られていたのか等々、知りたいことばかりです。
ネットで検索してみると、岡崎直司さんのブログのコメントに、ちょっと出てくる程度です。「旧和田橋」について、もっと詳しい情報をお持ちの方、ぜひお知らせください。
どうも、現存の竹筋コンクリート造には、なかなか簡単には出会えないようです。
現在の和田橋
坂光商店。桐生駅前の正面に、ポツンと建っている看板建築です。
小公園の一角の煉瓦倉庫。この公園の敷地に、もともとあった建物かと思われます。
内之浦公会堂(昭和12年築)。保内の町から西に1kmほど行った集落にある建物で、登録文化財です。四角い陸屋根に見えますが、裏から見ると大きな瓦屋根の建物です。
ポーチの付いた建物。旧用途は不明ですが、医院ではないかと思われます。
美名瀬橋(昭和8年築)。この昭和ヒトケタ時代の橋の欄干は、全国的に連アーチのデザインになっています。
旧宇和紡績川之石工場煉瓦倉庫(明治22年築)。現在、製材業の八興産業が使用しています。
旧宇都宮壮十郎邸(明治34年築)。現在、二宮医院として使われています。
旧白石和太郎洋館(明治36年築)。現在、内部が一般に公開されています。近年の改修の際、屋根の鬼瓦に付着していた新聞の日付から、明治36年築と判明したとのことでした。
旧日進館事務室(明治後期築)。蚕の卵を生産する蚕種製造業の建物で、後に愛媛蚕種株式会社となり現在も操業中です。後方の第一蚕室、第二蚕室(大正8年築)と共に、登録文化財です。