東津山駅前通りが出雲街道と突き当たる丁字路にある事務所。よく見ると、入口部分にちょっとした細工があります。
(11,465歩)
日本各地の近代建築探訪など
東津山駅前通りが出雲街道と突き当たる丁字路にある事務所。よく見ると、入口部分にちょっとした細工があります。
(11,465歩)
旧団体事務所。路地を覗くと何となく気配を感じる建物が見えて、前まで進みました。土蔵風ながら両開きの窓が並んでいます。お住まいのご婦人にうかがうと、終戦後、表通りに建っていた旧団体事務所の建物を曳家して住宅にしたのだとか。
(10,627歩)
旧河野医院(大正期築)。現在、河野美術館となっています。
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つちや写真館。出雲街道の一本隣と中島病院のある道との丁字路に建っています。
(10,815歩)
旧土居銀行本店(大正9年築)。現在、作州民芸館として公開されています。
(9,511歩)
中島病院旧本館(大正6年築)。まちづくりの情報発信拠点として、活用・公開が予定されています。
(10,551歩)
旧津山中学校本館(明治33年築)。現在の岡山県立津山高等学校構内にあり、国の重要文化財に指定されています。
(10,240歩)
旧津山市役所庁舎(昭和9年築)。現在、津山郷土博物館として活用されています。
(11,501歩)
津山基督教図書館(大正15年築)。桜庭駒五郎の設計と聞いて、どこかで聞いた名だと思ったら、弘前で多くの建物を建てている棟梁でした。
(22,171歩)
旧陸軍第10師団兵器庫(明治39年築)。現在、姫路市立美術館として活用されています。
(35,439歩)
旧宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場(明治44年築)。現在、広島市郷土資料館として活用されています。
(12,401歩)
旧門司税関(明治45年築)。現在、ギャラリーや休憩所として活用されています。
(10,668歩)
旧大阪商船門司支店(大正6年築)。現在、海事・イベントホールとして活用されています。
(8,829歩)
旧九州鉄道本社(明治24年築)。現在、九州鉄道記念館として活用・公開されています。
(9,158歩)
旧妹尾銀行津山東支店(大正9年築)。昭和48年まで中国銀行の支店として使用されていましたが、現在は津山洋学資料館として公開されています。
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旧十七銀行直方南支店(大正6年築)。展示スペース「アートスペース谷尾」として転用・活用されています。
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4月8日より京都国立博物館で、特別展 没後120年記念「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai-近代へ架ける橋」が始まりました。
暁斎とは河鍋暁斎のことで、幕末から明治にかけて活躍した日本画家です。河鍋暁斎と近代建築の関係で言えば、日本の近代建築の父であるコンドルが暁斎に弟子入りして日本画を学び「暁英」という画号を授かっており、暁斎の臨終も看取っています。さらに、当前村記念博物館としては、河鍋暁斎が江戸本郷の狩野派絵師前村洞和の弟子であったことも見逃せません。
これまで河鍋暁斎の大規模な展覧会は開催されておらず、今回の特別展では海外からの里帰り作品や未公開作品なども多く、他には巡回しないというのですので、これは見に行くしかありません。
来週の土曜日、4月19日に、大阪の天満屋ビル「ハaハaハa」さんで開催中の「まちかどの近代建築写真展」撤収の行きがけに、暁斎展を見てこようと思っています。夜行バスで行くことになりそうです。
京都国際マンガミュージアムでも、特別展「明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展」をやっており、こちらも見なければ。両方を半日で見るのは無理そうですので、やはり泊まり掛けで行くしかないかナ。
暁斎は速筆・早描きで多作な人でしたので、各地で掛け軸や額を見ることがありますが、今回のような大きな会場で一堂に会して見ることのできるチャンスはなかなかありません。また、今回の特別展は、埼玉県蕨市にある「河鍋暁斎記念美術館」所蔵のものが大半なのですが、これまで直接見たことのないコンドル所蔵だった里帰り作品に大いに期待したいと思います。
特別展覧会 没後120年記念
絵画の冒険者 暁斎 Kyosai -近代へ架ける橋
・会期:2008年4月8日(火)~5月11日(日)
・休館日:月曜日(ただし5月5日は開館)
・開館時間:午前9時30分~午後6時 金曜日は午後8時まで
(入館は閉館の30分前まで)
・会場:京都国立博物館 (東山七条)
京都国際マンガミュージアム特別展
明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展
・会期:2008年4月8日(火)~5月11日(日)
・休館日:水曜日(祝日の場合は翌日)
・開館時間:午前10時~午後8時
(入館は閉館の30分前まで)
・会場:京都国際マンガミュージアム2階 メインギャラリー
国立京都博物館
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html
京都マンガミュージアム
http://www.kyotomm.com/
河鍋暁斎記念美術館
http://www2.ocn.ne.jp/~kkkb/Kyousaij.html
※コンドルが書いた河鍋暁斎の伝記は必読です!(岩波文庫)
万世橋派出所(明治後期築)。東京神田の万世橋のたもとにあった建物を、小金井市の江戸東京たてもの園に移築。そのままトレーラーに積んで運んだことで、話題となりました。
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小生の故郷である北海道では、金時豆の甘納豆のお赤飯が普通であるということは、結構有名だと思います。食紅でもち米をピンク色に染めた、甘いお赤飯です。昨年末、『どさんこソウルフード』という本も出て、北海道では話題になっていました。
さて、お赤飯に小豆(やササゲ)ではなく金時豆を使うのは、北海道と青森など東北地方の一部と認識していたのですが、かつて沖縄に旅行に行ったおり、名護の博物館に金時豆のお赤飯が展示してあり、驚いたことがありました。柳田國男ではありませんが、「蝸牛考」のように周辺部に同じような文化が残っているのではと考えたりしました。まあ、北海道の甘納豆赤飯は、戦後に料理研究家が広めたという話も聞きますので、それほど古い文化でもないのですが(昭和20~30年代に札幌の光塩学園女子短大の南部明子先生考案だということですが、これはもしかしたら、甘く煮た金時豆を使う代わりに、甘納豆を使うというアイデアだったのかも知れません)。
先日、長野県の伊那市へ行ったおり、スーパーの惣菜コーナーで金時豆のお赤飯を発見しました。しかも、小豆のお赤飯は一切置いておらず、金時豆のお赤飯だけが並べてあります。驚いて、近くにいた買物中のご婦人2人にお聞きすると、この地方では普通、この金時豆の甘いお赤飯を炊くとのこと。「蝸牛考」説は、吹っ飛びました。
伊那地方だけの習慣かと思っていると、長野市出身の職場の同僚の家でも、金時豆のお赤飯を食べるとのことで、どうも長野県全域で広く一般化しているようなのです。長野での金時豆のお赤飯の話があまり出てこないのが不思議ですが、地元ではそれが普通の赤飯であると考えているので、あえて関心を呼ぶテーマではないのかも知れません。北海道の場合、北海道以外の地域から出張や転勤で来る人が多く、変わった食べ物として意識されたのかも知れません。
そもそも、金時豆のお赤飯の起源は長野・山梨地方であって、北海道開拓とともに北海道に渡った食文化だという、新しい仮説をたててみました。この仮説は、地域分布的にも理にかなっているような気がします。ちなみに、うちの母方の祖母が山梨県の出身で、北海道に開拓に渡った人ですので、話がヤヤコシイのですが……。
あるいは逆に、北海道開拓民の里帰りと共に、北海道の食文化である金時豆のお赤飯が、長野・山梨地方にもたらされたという逆流入説も、成り立つかも知れません。この仮説の場合、北陸地方や東北地方南部にも、金時豆のお赤飯がなければなりませんけれど。
うちの地方でも金時豆のお赤飯を食べるよ、という情報を、ぜひお寄せください。
日経新聞の「食べ物新日本奇行」というページに、アンケート調査に基づく記事が出ていました。
http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20030319s863j000_19.html
名鉄岩倉変電所(明治45年築)。愛知県岩倉市から博物館明治村に移築された建物です。
(10,421歩)
東京駅警備巡査派出所(大正3年築)。東京駅前から博物館明治村に移築された建物です。
(10,076歩)
金沢監獄正門(明治40年築)。山下啓次郎設計で、金沢から博物館明治村に移築された建物です。同じ山下啓次郎設計の長崎刑務所正門と似たデザインです。
(11,858歩)
工部省品川硝子製造所(明治10年頃築)。登録文化財に登録されている、東京の品川から博物館明治村に移築された建物です。
(10,289歩)
菅島燈台附属官舎(明治6年築)。国の重要文化財に指定されている、三重県鳥羽市菅島町から博物館明治村に移築された建物です。
(26,449歩)
京都七條巡査派出所(明治45年築)。京都駅に近い七条通から、博物館明治村へ移築された建物です。
(25,934歩)
聖ヨハネ教会堂(日本聖公会京都五條教会)(明治40年築)。国の重要文化財に指定されている、京都市の河原町通五条から博物館明治村に移築された建物です。ガーディナー設計で、1階が煉瓦造、2階が木造という、小浜教会と同じ構成となっています。この教会堂が京都の町に建っていた姿を思うと、明治村への移築は何とも複雑な思いです。
(10,934歩)
神楽坂のアユミギャラリーの名物番頭さん(笑)だった渡邉義孝さんから、個展の案内をいただきました。独立され、風組・渡邉設計室を開設されており、また、近代建築探訪MLの仲間でもあります。
今回の個展は、世界遺産をめざす五島列島の教会群のスケッチで、昨年秋には長崎市内で開催され、今回は現地の新上五島町での開催です。五島列島か。行きたいナァ。20年くらい前に一度行ったきりです。いつか、五島列島の教会めぐりをしたいと思っています。
「長崎から世界へ 祈りの空間を描く-渡邉義孝水彩画展-」
会期:2008年4月12日(土)~19日(土)
開館:9:30~17:30(最終日14時まで)
会場:有川港多目的ターミナル鯨賓館ロビー
〒857-4211 長崎県南松浦郡新上五島町有川郷578-36
電話:0959-42-0180 入館無料・会期中無休
共催:鯨賓館・上五島歴史と文化の会・新上五島町世界遺産推進室
こちらは、昨年秋の長崎市内での個展の様子
http://homepage3.nifty.com/w_yoshi/ak/ngsk/exb.html
柘植駅旧ランプ小屋(明治23年築)。「日本赤煉瓦建築番付」の前頭として掲載されています。
(9,954歩)
旧本庄商業銀行倉庫(明治27年築)。現在、ローヤル洋菓子店の店舗・工場として活用されています。こうした食品工場への転用例は、珍しいのではないでしょうか。近代建築転用の成功事例として、大いに評価したいと思います。改めて見ると、隣町の岡部農業協同組合の建物と似ています。
(11,317歩)
旧岡部農業協同組合。「日本赤煉瓦建築番付」で前頭に掲載されている建物ですが、どう調べても情報が得られず、深谷市教育委員会(岡部町は深谷市と合併)に問い合わせ現存を確認、そして今回やっと訪ねることができました。窓が割れ、老朽化も著しい状況ですが、本格的な煉瓦建築であり、ぜひ保存・活用すべき物件です。
仲間うちでは「カッパの顔」だと評判だったのですが、いかがでしょうか(笑)。
追記
「日本近代建築総覧」によれば、この建物は、大正4年築の旧岡部村役場とのことです。
(8,788歩)