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産業構造物に「萌える」写真集

昨日(11月6日)の日経新聞夕刊の文化欄に、工場や水門、ダムなどの写真集が売れているという記事が載っていました。記事の構成や発言者の見解には多少違和感もありますが、肯定的な記事でしたので、まずは良しとしましょう。

工場萌え 恋する水門―FLOODGATES ダム

記事の文脈を追うと、これらの写真集の特徴は、プロの写真家ではなく、素人の撮った写真集であることが挙げられています。写真集『工場萌え』の編集担当である東京書籍の角田氏は、「写真がうまい人ならもっといる。でも愛はない。石井氏の写真からは工場が好きでたまらないという愛が伝わる。それが読者の共感を呼んだと思う」と発言しています。

まあ、「愛」と言ってしまえばそれまでなのですが、それがマニアの力(パワー)だと小生は考えます。時間であれ、お金であれ、プロとは違う形での強い力の注ぎ方をしており、そうした背景があっての「写真」なのです。

僕たちの大好きな団地―あのころ、団地はピカピカに新しかった!

『工場萌え』の共著者である大山顕氏は「僕らが好きなのは写真じゃなくて被写体。そこが写真家の写真と違う」と発言しています。これは、小生がかねがね言っていることと同じで、大いに共感します。作品としての写真ではなく、写っている被写体自体が大切なのです。現物をコレクションすることができないゆえに、写真を撮っているのです。例えれば、昆虫マニアのコレクションである標本の代わりが、ある対象を撮った写真の数々なのです。

東京鉄塔―ALL ALONG THE ELECTRICTOWER

写真集『東京鉄塔』を出した自由国民社の竹内尚志編集部長は、「これまでの写真集は『いかに撮るか』というプロの目や腕を見せるもの。今、出ている本は『何を撮るか』に重点がある」「本格的な写真家から見れば邪道。けれど写真より、写っているものが大事という人は撮る側にも見る側にも増えている」と語っています。

これは、学生時代に写真部内で論争したことのあるテーマでした。要は、写真がごく一部の者だけのモノではなく、全ての人々のモノとなったということに尽きるのではないでしょうか。写真の敷居が低くなり、写真を撮るということが特別なことではなくなり、作品ではなくメモ代わりの記録として、手軽に写真を撮ることが普通の社会になったということでしょう。フィルムのコンパクトカメラが登場したときには、それは家族を撮る「スナップ写真」でした。それが今は、身の回りの静物を撮る写真となったのです。大山氏は「オルトスケープ」と呼ぶことを提唱していますが、小生は風景ではなく静物として、コレクションに加えるような意識で被写体を撮影しているのではないかと考えます。

「今までとは違う新しい感性が出てきた」という、写真評論家の飯沢耕太郎氏の発言には違和感を感じました。「工場や団地を見て育ち、アニメ『ガンダム』や大友克洋の漫画、映画『ブレードランナー』に登場する未来の都市イメージを現風景として共有する世代。公害などのマイナスイメージにも縛られず、純粋に産業構造物を美しいと見られるのだろう」とは、何とも表層的な想像です。どうして、すぐに「ガンダム」や「プレードランナー」が出てきてしまうのでしょう。

小生は、この産業構造物への傾斜は、昭和ブーム、レトロブームと同根であると考えています。円筒形の赤い郵便ポストが懐かしいように、工場やダムなどの巨大な産業構造物も、すでに人々の「懐かしい」範疇に入ったのです。飯沢氏はこの被写体について「未来の都市イメージを現風景」としますが、小生はその被写体自体がすでに過去のイメージなのだと考えています。人々が記録するということは、やがて失われゆくはかなさ、懐かしさなのだと。これは、根拠のあることではありませんが、そこにあるものは永遠ではないということがいつも意識されており、今を記録してコレクションしておきたいという欲求により、こうした写真が撮られているのだと実感しています。

そもそも、マニアの写真とは、そういうものです。「写真マニアの写真」なのではなく、「○○マニアの写真」なのです。駅のホームにいる鉄道マニアの写真を思い浮かべてみれば、わかりやすいでしょう。少し以前から鉄道写真というジャンルが確立しており、多くの写真集が発行されています。市場規模が大きくなり、需要が高まれば、そこに鉄道写真のプロが成立します。ただし注意しなければならないのは、この鉄道写真のプロは、写真家が鉄道写真を撮るのではなく、鉄道マニアがプロの写真家になっているという点です。産業構造物のブームが一過性のものではなければ、いずれはこのジャンルのプロの写真家が育つことでしょう。マニアではないプロの写真家が、このジャンルの写真を撮ったとしても、何か違う写真になってしまうものです。

「単なる『偏愛写真』と片づけられない広がりを見せそうだ。」とこの記事はまとめています。「偏愛写真」とはずいぶんな言いようですが、それぞれのマニアの力が、マニアではない一般の人々にも理解され、評価されるようになったということでしょう。誰もが均質な関心を持つ時代から、マニアックに狭く深くを求める時代へと、確実に進んでいるのです。