旧国立第五十九銀行(明治37年築)。手ブレでひどい写真ですが、ご容赦を。
日本各地の近代建築探訪など
旧国立第五十九銀行(明治37年築)。手ブレでひどい写真ですが、ご容赦を。
日本基督教団弘前教会会堂(明治40年築)。日も傾いてから弘前に着き、ようやく撮った写真です。弘前は、また改めて撮影に行きます。
今日、島根県の石見銀山が、ユネスコの世界遺産に登録されることが決定しました。一時は登録延期という事態ともなりましたが、まさかの逆転決定です。
世界遺産となった石見銀山の地域には、銀の積出港として栄えた温泉津の町があります。ちなみに、「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読みます。ここはその名の通り温泉が沸いており、古い温泉場の雰囲気を残す町並みが続いています。20年位前までは擬洋風の警察署の建物も残っていたのですが、残念ながら解体されてしまいました。しかし、まだ洋風の古い旧共同浴場が残っており、また、数年前に訪ねたときには、いくつかの下見板張りの建物も見つけました。
「世界初の世界遺産登録の温泉」をキャッチフレーズに、温泉津は世界遺産登録に向けて運動を展開していましたが、とうとう本当になりました。ただでさえ細い道路に、沢山の観光客が訪れることになることを思うと、今後が心配です。
まずは、日本で初の産業遺産としての世界遺産登録決定を祝いたいと思います。世界遺産の登録名は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」とのことです。
【追記】
ジブリのアニメ映画「もののけ姫」に出てくる「タタラ場」は、この石見銀山の製錬場をモデルとしてイメージしたとも言われています。鉱山は宝を産みますが、必ず鉱毒という問題も生じます。
平賀の町で見つけた看板建築。左右対称の凝った造りで、何屋さんだったのだろうと想像をかき立てられます。
ハヤシシン青森。旧金融機関か農協ではないかと思われます。
旧清藤辮吉氏別邸(明治41年築)。盛美館として有名です。2度目の訪問ですが、思いの外こぢんまりとした建物です。
旧松の湯。営業していれば、ぜひ入ってみたい銭湯でした。
岩谷歯科医院。建物の前にある案内板は、この建物のものではなく、こみせのある伝建保存地区を紹介するものです。
今月より始まった、朝日新聞朝刊の連載記事「まちは生きていく」が面白いです。書いているのは、京大建築学科出身の編集委員、松葉一清さん。
全国各地の、まちおこしや地域活性化のために尽力された闘士・志士の方々の紹介です。エピソードを交えた写真入りの記事で、さまざまな興味深い実践例が示されています。
asahi.comに掲載されていないか探したのですが、どうも載せていないようです。後日、単行本にでもなるのでしょうか。
これまでに取り上げられた町は、
・高松市丸亀町
・山口県宇部市
・徳島市新町川
・京都市三条通り
・熊本県山鹿市
・新潟県村上市
・埼玉県川越市
・岐阜県飛騨市
・茨城県古河市
・長崎県島原市
・山口県下関市
今日の下関の記事は、下関市役所第一別館の保存の話でした。第一別館の写真が誇らしいです。
これまでの連載で「あッ!」と思ったのは、村上市のまちづくりの回。「会津若松の街並み保存運動家に『道路拡幅で成功した商店街はどこにもない』とさとされた」という話でした。そうなのですよね。道路の拡幅工事を行なった町は、どこもよそよそしい新興・復興の町のようになってしまうのです。さまざまな建物がゴチャゴチャしている町こそが、魅力的な独自性のある町なのに。
川越の回で、お上に頼らないまちおこしの話も、共感しました。「好きなことなので自腹が原則」、「政治に手をだすな、お上に頼らない気概を持て、と教えられて育った」という、代表の方のお話。「気概」を持たなければなりませんネ。
以降、どの町の話が出てくるか、楽しみです。
スミトモ。隣のビルに隠されてしまっていますが、塔屋のある建物です。
三上病院。ベランダ部分が妙に古い感じです。思うに、以前は、ベランダ・コロニアル様式の医院だったのではないでしょうか。その部材を使って、新しい建物を建てたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
旧長崎刑務所が今どうなっているのか、その後の情報が出てこない!! まだ、手がかけられていないことを祈っています。長崎新聞さん、旧長崎刑務所は今、どうなっていますか?
旧長崎刑務所は、すでに民間の不動産会社に売却されてしまっているということですので、あとはその業者さんの意向次第ということかも知れませんが、まだ諦めてはいけません。
旧長崎刑務所を購入したのは、東京の不動産会社だという話も聞こえてきます。ぜひ業者さんには、諫早のこの現地を見てほしいと思います。遠く離れた土地での机上の計画だけではなく、実際の現地を見、歩き、感じてほしい。そうすれば、きっとこの旧長崎刑務所の価値や意義を実感するに違いありません。そうすれば、この建物や空間を活かした計画をせざるを得なくなるはずです。業者さんには、この旧長崎刑務所という素材に対して、どのような活かし方をするかの手腕が問われることでしょう。
不動産を所有するということは、自身の財産として何でも自由にできる、ということでは決してありません。さまざまな法規制もありますが、それをクリアさえすれば良いというだけでもありません。
不動産を所有するということは、時間軸と空間軸という両座標軸上での責任を負うということを理解しなければなりません。時間軸とは、過去から未来へという、歴史的価値を伝えること。空間軸とは、近隣や地域の中でのその物件の意味、さらに、もっと広く地球規模の空間の中での意味までをも考えなければなりません。これは、この旧長崎刑務所のような歴史的建造物だけでなく、どんな小さな住宅でも、マンションでも同じです。不動産を所有するということは、そういった重い責任を負うことなのだということを、誰もが理解し、意識する必要があります。
旧長崎刑務所は、重要文化財級の非常に価値の高い建物ですが、たとえ文化財に指定されていなくても、価値があるということに揺らぎはありません。ものの価値はレッテルではなく、そのもの自体に価値があるのです。
なお、旧長崎刑務所のことを載せているブログの多くには、価値は認めるが、ここまで老朽化してしまっては解体も止むを得ないという記述が少なくありません。しかしながら、たとえどれほど老朽化しても、解体の理由にはなり得ないのです。全国の残る文化財指定の近代建築の多くは、どれも老朽化し、一時は廃墟のようになっていたのです。人々がその価値を見出し、保存をするという意志さえあれば、保存できるのです。要は、その物件の価値を見出すかどうかに掛かっています。
また、旧長崎刑務所を保存するには数十億円もかかるのでは、解体も止むを得ないという記述も見られます。不思議と、なぜか他の建物でも解体する理由として、保存するには数億、数十億円かかるという金額が示されます。こんなにかかるのでは止むを得ない、という口実を与えるための金額なのではないかとさえ疑われます。建物全体を一気に修復・保存するとすれば、それなりの金額がかかるでしょうが、予算が無ければ無いなりの修復・保存の方法があるはずなのです。要は、その物件を残したいという意志次第なのです。お金が無いから残せなかったとは、何とも恥ずかしい話ではありませんか。
旧長崎刑務所を取得された東京の不動産屋さん。この旧長崎刑務所が、後世に誇るべき良い形で残されることを期待しています。
上原呉服店。洋品店も兼ねていたのではないかと思われます。
囲碁センター。よく見ると、縦長の上げ下げ窓と、アーチの付いた窓があります。
旧長崎刑務所が、まだ残っていると信じて!!
旧長崎刑務所で検索していたら、「うさたろう日記 はてな版。」に興味深い資料がリンクされていました。平成18年10月10日付の「第55回国有財産九州地方審議会議事録」というもので、この中に、この旧長崎刑務所の民間不動産業者への売却にあたって、一部でも保存できないものかという審議会委員で九州大学名誉教授の樗木武氏の質問に対し、北村管財部長が説明をしています。
「(前略)それから、今、委員のほうから赤レンガ等の旧刑務所庁舎につきましての、文化財としての価値ということでございますが、この建物を文化財として保存するかどうかにつきましては、地元であります長崎県、諫早市が文化財保護法でありますとか、長崎県の文化財保護条例に基づきまして、保存を要するかどうかということを判断されることになっております。本件につきましては、私どもが長崎県、諫早市に確認した結果、いずれも保存することには該当せず、国が売却しても構わないという旨の回答を得た上で、一般競争入札を実施したところでございます。」
北村管財部長の説明では、旧長崎刑務所の保存価値について判断するのは県や市であると言っています。しかし、まずは所有者である国が判断すべきなのではないでしょうか。財務省では価値判断ができないということであれば、文化庁なり、あるいは建築学会なり建築士会なり、価値判断のできるところに聞くのが筋でしょう。この説明では、長崎県、諫早市が、旧長崎刑務所には価値がないと言ったから、保存する必要はないのだと言っています。しかし、本当に県や市は、旧長崎刑務所に価値はないと言ったのか。価値がないと言ったのではなく、保存するお金がないと言ったのではないでしょうか?
国の所有する旧長崎刑務所に対して、県や市が「保存する価値がある」と言うことは、すなわち引き取るということになるのではないか。財政的に厳しい県や市には、そのようなことを言い出すわけにはいかないだろうことは、想像できます。旧長崎刑務所には価値がないと言った当事者は、県や市であるとされていますが、これはすり替えではないか。純粋な価値判断と財政的な判断とは、全く切り離して行わなくては、判断を誤ります。
そもそも、県や市に聞く前に、所有者である国自身が旧長崎刑務所の価値判断をすべきでしょう。北村管財部長の説明では、そのことを、全く無視しています。
長崎県の担当者、諫早市の担当者の方々。旧長崎刑務所に保存の価値なしという誤った判断をしたのは、本当にあなたたちで良いのですか? 所有者としての、国の判断はどうなのですか?
かくして、正当に価値判断をされることなく、国(財務省)によって、旧長崎刑務所は売却され、今や解体寸前となっているのです。国民の、いや人類の、貴重な遺産である旧長崎刑務所が、真っ当な価値判断もされずに売り飛ばされてしまったのです。このことを、ずっと明記しておきたいと思います。
旧医院か? この洋館の特徴は、右側のなだらかな傾斜屋根です。
引き続き、旧長崎刑務所です。何としても残したい一心です!!
さて、この旧長崎刑務所の設計者ですが、山下啓次郎(やましたけいじろう)です。ジャズピアニストである山下洋輔の祖父としても有名です。
山下啓次郎は、1867年(慶応3年)鹿児島県生まれ。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)で辰野金吾に建築を学び、卒業後、警視庁、後に司法省営繕課で技師として、明治の五大監獄と呼ばれる千葉、金沢、鹿児島、奈良、長崎の刑務所や、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所などの設計を担当します。1931年(昭和6年)没。
・千葉刑務所(明治40年築)は、煉瓦造の管理棟や正門などが現役で使われています。
・金沢刑務所(明治40年築)は、昭和45年の移転にともない解体されましたが、中央看守所と監房の一部、そして正門が明治村に移築され、いずれも国登録有形文化財です。
・鹿児島刑務所(明治41年築)は、昭和61年の移転にともない解体されましたが、保存運動の結果、石造の正門のみが現地に保存されています。国登録有形文化財です。
・奈良刑務所(明治41年築)は、現在も奈良少年刑務所として、煉瓦造の本館や正門などが現役で使われています。
・長崎刑務所(明治41年築)は、平成4年に移転にともない閉鎖され、そのままの形で保存(放置?)され、現在に至ります。今年(平成19年)の6月中に解体予定の計画が発表されています。
・名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(大正11年築)は、現在、国の重要文化財に指定され、名古屋市市政資料館として活用されています。
旧長崎刑務所は、施設がそのまま残されており、史料としても貴重です。修復・補修して文化財に指定し、何らかの形で現地に保存するべき価値の高い建物群です。
【追記】
山下啓次郎と同じ1867年(慶応3年)生まれには、建築家伊東忠太(帝国大学工科大学も同期)や、文豪夏目漱石、ジャーナリスト宮武外骨、博物学者南方熊楠、そして、海外では建築家フランク・ロイド・ライトなどがいます。
クリーニング屋さん。なだらかな富士型の看板建築です。もっと円が丸ければ、典型的な看板建築なのですが。
一昨日、昨日と、諫早の旧長崎刑務所の一般公開でした。ずっと、ブログでウオッチングを続けています。
多くのブログに、撮影してきた写真が公開されています。写真を見ると、昨年見たときよりもさらに老朽化が進んでいるように見えます。メンテナンスをしない建物は、こんなに簡単に廃墟化が進むものなのですね。
旧長崎刑務所の解体について、世間であまりニュースにならないことが悲しいです。旧長崎刑務所は、とてつもなく貴重な建物です。近代建築探訪メーリングリストで小生は、「東京駅解体と同じくらい大きな問題だと思う」と書きました。地域文博・高炉館の庵田さんは、「煉瓦造建築としては、西日本内で最大級の規模であると確信します」と書かれています。ただ、このことが話題にならないことについてALL-Aブログのtksさんは、「刑務所であるが故」と書かれています。
そうなのです。刑務所もそう、旧遊廓もそう、旧軍事遺跡もそう。無かったことにしたいものは、抹殺してしまうのです。
たとえば、登録有形文化財の登録基準の一つとして「再現することが容易でないもの」という項目があります。旧長崎刑務所のように大規模な煉瓦造の建物は、すでにこの基準にかなうはずです。
建物は、資産価値や効率化だけで評価すべきものではないはずです。予算が無いという理由だけで解体してしまうのは、何も価値を評価していないということです。
旧長崎刑務所の場合、使われていない刑務所を15年間も放置してきたこと自体がおかしいことなのですが、所有者だけの判断で解体してしまうこともおかしい。近隣の方々からの評判が悪いというのは、小樽運河のときもそうでした。それは、未来のある、近い将来のプランが示されないことが問題なのだと思います。旧長崎刑務所は、解体後のプランも無く、ただ解体するだけだとか。このまま放置されても困るが、何も目的もなく解体されるのも酷い話です。
旧長崎刑務所を解体するのは惜しい、残念だと言うだけではダメです。旧長崎刑務所には価値がある、残せと言わなければなりません。
価値を知る者がその価値を伝えなければ、誰もその価値を知ることができません。旧長崎刑務所を知る人は、ぜひ、価値があると声を挙げてください。価値を知る人が増えれば、展開の可能性も増すでしょう。少なくとも、価値ある旧長崎刑務所のことが世に知られぬまま、覆い隠すように解体されてしまうようなことがないように。
メガネの菊屋。スクラッチタイル貼り、縦長窓のしっかりした建物です。
ときや。このような階段状の看板建築は、結構各地で見かけます。
りんご史料館(平成13年築)。黒石の郊外にある旧平果試験場本館(昭和6年築)を撮影しに行ったのですが、老朽化ですでに解体されており、同じ基礎の上に復元されていました。平成11年に、アユミギャラリー主催の「近代建築史への旅スケッチ展」青森展に同行して黒石を訪れたときに、バスからちらりと見たことがあります。旧平果試験場本館は、建物全面が蔦で覆われ、まさに幽霊屋敷のような建物でした。イギリスの園芸研究所「イーストモーリング研究所(East Malling Research)」の建物を模して建てられたとか。
以前の建物の写真は、こちらに載っていました。
http://www.mumyosha.co.jp/guide/hakubutu/aomori/ringo.html
http://www.net.pref.aomori.jp/kuroishi/Sight_Seeing/Sig_Ringo_en_shiryokan.html
昨年、念願かなって訪問することのできた諫早にある旧長崎刑務所ですが、今月中旬にも解体されることが決まったとの情報を得ました。
長崎新聞の記事
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070526/02.shtml
「地域文化博物館・高炉館」の庵田さんの掲示板ブログで、先月末、急に一般公開されたことを知り、見に行きたかったと残念に思っていたのですが、解体に向けての一般公開だったとは……。あまりの反響の大きさに、再度、今週末に一般公開を行なうようです。行きたいが、行けそうにない。
長らく廃墟状態で放置してあったのは、解体するには惜しいと思ったからに違いありません。しかし、経済状況が改善に向かい、民間デベロッパーも動き出せば、文化遺産もただの無駄な空き地に見えてくるのでしょう。
その論理に、真っ向反論できる論理を構築しなければ、いつもいつも負け戦ばかりです。
http://www.jmam.net/blog/archives/472.html
http://www.jmam.net/blog/archives/474.html
第二分団屯所(大正9年築)。黒石にはクラシカルな3つの屯所があり、パンフレットなどで町を挙げて自慢としています。この第二分団屯所は、町のT字路の正面にあります。
旧勧業銀行宮崎支店(大正14年築)。宮崎県庁のすぐ側に建つ銀行建築です。
宮崎県庁舎(昭和6年築)。現在、東国原知事の人気で、県庁舎をバックにした記念撮影の観光スポットとなっています。