小生の故郷である北海道では、金時豆の甘納豆のお赤飯が普通であるということは、結構有名だと思います。食紅でもち米をピンク色に染めた、甘いお赤飯です。昨年末、『どさんこソウルフード』という本も出て、北海道では話題になっていました。
さて、お赤飯に小豆(やササゲ)ではなく金時豆を使うのは、北海道と青森など東北地方の一部と認識していたのですが、かつて沖縄に旅行に行ったおり、名護の博物館に金時豆のお赤飯が展示してあり、驚いたことがありました。柳田國男ではありませんが、「蝸牛考」のように周辺部に同じような文化が残っているのではと考えたりしました。まあ、北海道の甘納豆赤飯は、戦後に料理研究家が広めたという話も聞きますので、それほど古い文化でもないのですが(昭和20~30年代に札幌の光塩学園女子短大の南部明子先生考案だということですが、これはもしかしたら、甘く煮た金時豆を使う代わりに、甘納豆を使うというアイデアだったのかも知れません)。
先日、長野県の伊那市へ行ったおり、スーパーの惣菜コーナーで金時豆のお赤飯を発見しました。しかも、小豆のお赤飯は一切置いておらず、金時豆のお赤飯だけが並べてあります。驚いて、近くにいた買物中のご婦人2人にお聞きすると、この地方では普通、この金時豆の甘いお赤飯を炊くとのこと。「蝸牛考」説は、吹っ飛びました。
伊那地方だけの習慣かと思っていると、長野市出身の職場の同僚の家でも、金時豆のお赤飯を食べるとのことで、どうも長野県全域で広く一般化しているようなのです。長野での金時豆のお赤飯の話があまり出てこないのが不思議ですが、地元ではそれが普通の赤飯であると考えているので、あえて関心を呼ぶテーマではないのかも知れません。北海道の場合、北海道以外の地域から出張や転勤で来る人が多く、変わった食べ物として意識されたのかも知れません。
そもそも、金時豆のお赤飯の起源は長野・山梨地方であって、北海道開拓とともに北海道に渡った食文化だという、新しい仮説をたててみました。この仮説は、地域分布的にも理にかなっているような気がします。ちなみに、うちの母方の祖母が山梨県の出身で、北海道に開拓に渡った人ですので、話がヤヤコシイのですが……。
あるいは逆に、北海道開拓民の里帰りと共に、北海道の食文化である金時豆のお赤飯が、長野・山梨地方にもたらされたという逆流入説も、成り立つかも知れません。この仮説の場合、北陸地方や東北地方南部にも、金時豆のお赤飯がなければなりませんけれど。
うちの地方でも金時豆のお赤飯を食べるよ、という情報を、ぜひお寄せください。
日経新聞の「食べ物新日本奇行」というページに、アンケート調査に基づく記事が出ていました。
http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20030319s863j000_19.html